2000年3月29日
2000 3/29
欲望には大将、じゃなかった対象が必要だ。
人は対象があって欲望があると考えがちだが、オレは実は対象よりも欲望の方が先なんじゃないかと思っている。
例えば女の人を好きになるのにしても、人は例えば性欲を充たすためにそれぞれの環境の中でその対象を探して、結果としてその人を好きになる、といったかんじが普通なんじゃないだろうか。
動機としての欲望がまずあって、その次にその欲望に合った対象を模索する。
好きになった人がそこにいたのではなく、まず自分に誰かを好きになりたいという気持ちがあった、というのが本当のような気がするし、オレはそう言ってくれるヤツの方が信用できる。
「夢はプロ野球選手になることです」と少年が言う時、その少年は本当の意味でプロ野球選手になりたい訳ではない。
欲望の対象として、いろいろな願望の結晶として、実際のプロ野球選手というよりもそこに仮託された何かもっと別のものをこそ少年はそこに夢見ているのだと思う。
はたして少年は野球を選択した。
そうして初めて、野球が上手くなることだけがその少年のその時の人生の全てになるのだ。
環境は人それぞれ違う。
その中で何を選びとるかは大して問題ではない。
それはある意味、環境によって「選ばされた」ものだからだ。
ぶっちゃけた話、夢なんかどうでもいい。
大切なのはその先にあるものだと思う。
「現在」というものにすべてを集約することができるかどうか、それだけが大切なのだ。
すべての願望や欲望や夢を、今この瞬間に集約できるかどうか、今ここで全身で生きれるかどうか、ただそれだけが問題なのだ。
オレはたった今だって全身で生きている。
どうもお腹の具合が悪い。
水みたいなうんこがさっきから1時間おきに出やがる。
とても困る。
全身で困る。
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