2000年6月20日



2000 6/20

もうすぐ選挙だそうだ。
オレはどこまで「国家」を無視できるかがオレの人生の戦いのひとつのポイントだと思っているので、投票には絶対行かない。
投票に行くということは国家や政府の在り方が自分の幸せにとって重要なポイントであると認めることだ。
ファックオフ。
オレはそんなこと地球が砕け散っても認めない。
国が何をしようがオレは幸せでいてみせる。
制度や法によって存在する自分などオレは幻のようなものだと思っている。
「個人」というのは社会とは逆立するものだ。
「個人」にとって「現実」は単なる「条件」でしかない。

学校に通っていた頃だってそうだった。
教育制度がどうであろうが校則がどうであろうがオレは勝手に幸せにやっていた。
学校生活は今思い返してみてもつまらない退屈なものだったけれど、オレは「学校」の集団生活の中で自己実存しようなどというおめでたいアホのいい子ちゃんみたいなことはこれっぽっちも思っていなかった。
「勝手にやってろ」と思っていた。
殴られようが無視されようが陰湿ないやがらせを受けようが、そんなもんは屁でもなかった。
「学校」の外でライブをやったり、バーでロック姉ちゃんを口説いたりして、オレはオレとしてオレの道を歩いていた。
「政策」なんかとは関係ないところでオレ達が生きていることは誰だって百も承知のことだろう。
沖縄戦のあの悲惨な現実の中でも人間はちゃんと笑えていた。
長崎や広島に原爆が落ちたその日にも、そのどこか、どこかには、きっと「笑い」があったとオレは信じている。
どんな非現実にだって必ずどこかに「日常」はついてくるからだ。

高校の頃、生徒会の奴等が一番恐れていたのは「女にもてないこと」だった。
自分のやっていることは「一番みんなにとって必要なことに見えてその実本当は誰にも特に必要とされていない」ということを認めたくなかったんだろう。
たいがい生徒会に入る奴はアホのいい子ちゃんの空気の読めないもてない奴等だった。
「学校生活」でうまくいかなくて、「学校」を少しでも過ごしやすくしようと自ら行動しようとしたのだろうが、その行動には根本的な勘違いがあった。
人間にとって本当に大切なのは環境を変えることではなく、その環境の抱える問題を個人の中でどう「無化」するか、ということなのだ。
まず受け入れることによって全ては始まる。
変革が意味を持つのはそこから「切実さ」がきれいさっぱり抜けた時だ。
なんでもかんでも環境のせいにしていつも環境を変えることばっかりにやっきになっていつまでたっても自分の足元を見つめないようなやつをヘタレというのだ。

いずれ「国家」はなくなる。
さらにもっと先には「政府」もなくなる。
一番最初に「国家」がなくなるのはきっと日本なんじゃないだろうか。
日本はニヒル先進国だからだ。
誰もが「国家」を無視して勝手にやり始める日はたぶんもうすぐそこまできている。
投票率はいずれ3パーセントくらいになるだろう。
資本主義もこのへんまで完成すればもう政府なんかいらないだろう。
道路やら何やらのインフラだってこんくらいやっときゃ後はなんとかなるだろう。
何だってある程度発達してれば後は民営でやった方がうまくいく。

世の中には選挙には「白票」を投じに行く、という人もいるようだが、そんなら棄権して家でビールでも飲んでた方がいいと思う。
「白票」は思いきり「国家」というものにまだまだ期待している、という意志表示に他ならない。
「国家」なんていらない、というオレのような奴は投票になんか行くな。
第一めんどくさいだろ、あんなの。
政治家だって「白票」を投じられるより無視される方がよっぽど恐ろしいに違いない。
あいつらの仕事は必要そうに見えてその実本当は誰にも特に必要とされていないんだから。
余計なことばっかやってるし。

オレは投票には行かない。
税金はしょうがないので恵んでやる。
けれど決して「国家」の世話にはならないし、頼ったりもしない。
何をされても最後までかっきり無視してやるつもりだ。
オレはいつまでもどこまでも一人で勝手に幸せになるんだ。





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