2000年7月3日



2000 7/3

6月30日は鎌倉に行っていた。
あじさいを見に、鎌倉の明月院まで。
明月院は別名「あじさい寺」と言われている。
関東ではあじさいと言えば明月院というくらい有名なんだそうだ。
オレは沖縄出身だから知らなかったけれど、ある友人が、
「いやー、あれは絶対いっぺん見といた方がいいねー。」
と言うのでわざわざ早起きまでして出かけたのだ。

結論から先に言ってしまうと明月院は大したことなかった。
たしかにものすごい数のあじさいが美しく並ぶ様は何とも言えない迫力だったけれども、そこには何の静けさも、何のかなしさも、何のなつかしさもなかった。
明月院はあまりにも観光地化されすぎていて、何だかただの「あじさいテーマパーク」に見えてしまった。
それなら近所のスーパーにひげそりの刃を買いに行く途中に見つけた、何てことはないただ一株の路肩のあじさいの方がよっぽど素敵だ。
しばらく黙って見つめるうち心の中に何とも言えない静寂が広がっていって、なんだか切ないような、なつかしいような、とても静かな心持ちになる。
人通りの少ない、住宅に挟まれた路地の路肩に咲いた一株のあじさい。
やっぱそういう「人知れず感」が欲しい。
みんなでわいわいがやがや見てたんでは情緒もへったくれもない。
「はーい、スネちゃまー。そこに立つざまーす。あーん、もっと右ざます。もっと右ざます。あーっ、ストップざます。そこざます。行くざますよー。はいチーズ。」
なんてやられている横で何をどういうふうに情緒すればいいのだ。
ばかもの。

しかし明月院にはがっかりしたが、鎌倉という町はいい町だ。
町に品位がある。
静寂がある。
どこかなつかしい気持ちのいい退屈がある。
途中で入ったあるお寺などは何とも言えず素敵だった。
お墓しかない小さなお寺だったが、オレの好きなある文学者の墓があった。
本当に偶然見つけてしまったのだが、これも何かの縁だと思い、他に観光客もほとんどいなかったので、しばらくの間その墓石相手にビールを飲んだりタバコを吸ったりして黙って座っていた。

世の中には「本当」に、本当に、ほんとーーっに「静寂」というものを知らない人がいる。
いつも騒がしくして、忙しくして、「退屈」を恐れている人がいる。
しかしオレは絶対に人間には静けさが必要なのだと思う。
でないと心もバランスを崩してしまうものなんじゃないだろうか。
「静寂」はどこか「死」に似ている。
けれども恐れずに受け入れてみるといい。
わざわざ好き好んで一人で人気のない眺めのいい場所に行って2〜3時間ほど黙って座っているといい。
そうして口だけじゃなくそのまま心も黙っているといい。
それは美しくて切なくて、どこかなつかしい、素敵な「死」であるはずだ。
「退屈」も「孤独」も世間が言うほど悪いもんじゃない。
むしろとてもいいものだとオレは思う。

リラクゼーションなんてどこの馬ともしれないださい言葉はあまり使いたくないが、心の休養というのはとても大切なものだと思いませんかみなさん。
時には感動なんかよりもずっと。





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