ハナ毛



オレが東京に出てきて一番最初に起こった体の変化はハナ毛だった。
ハナ毛が伸びた。
どんどんどんどん伸びた。
太く、長く、たくましく、伸びた。


思えば沖縄にいた頃、 オレのハナ毛は細く、かよわく、 その都会的な繊細さはまるで萩原朔太郎(詩人、ホモ)のようだった。
自分のテリトリーを鼻の穴の内と定め、 決して自ら進んで外に出ることはなかった。
彼は生きることの図々しさを知っていたし、
自意識のはしたなさを知っていたし、
存在の不謹慎さを知っていた。
彼はうしろめたさと供に、ただ細々と暮らしていた。
優しすぎるがゆえに苦しんでもいた。
排気ガスを相手に、あまり表だった対立の姿勢を示せず、 一人で悩んでいたのだ。
「きっと排気ガスの方も悪気があってのことじゃないだろうし、
 もしかすると自分が気にしすぎなのかもしれない。」
と、こう考えていた。そして、
「ああ、自分も小さなことには頓着しない、
 ただ飄々と風に揺れるようなハナ毛になりたい。」
と、こうも考えていた。
それがどうだろう。
東京に出てきた途端、彼のその考えは大きく変わってしまった。
性格がどんどん脂ぎってきた。
沖縄にいた頃ははやく枯れたいと思っていたのが正反対に、
枯れたくない、いつまでも精力絶倫でいたい、
と思うようになってしまったのだ。
もう、ボーボーである。
モジャ毛、と言ってもいいだろう。
やはり排気ガスの激増に何かが吹っ切れたのだろう。
今ではもう排気ガスとの戦いのため、
というような長さや量のレベルを越えて、
むしろ自己表現といっていいくらいのジャングルなのである。
ギャランドゥなのである。
萩原朔太郎だとばかり思っていたのが、 いつのまにかジェームス・ブラウンになっていたのだ。
今ではまるで昆虫の足みたいに太く、長く伸びてくるハナ毛を、 涙とくしゃみとハナ水にまみれつつ、
「ゲロンパッ」
と言って抜く毎日である。
ゲロンパッ。




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