銭湯



銭湯が好きだ。
遊園地の次くらいに好きだ。
オレの住んでいるアパートには一応ユニットバスが付いているのだが、 月に一度は愛用のあひるちゃんに「ごめんな」と言って銭湯に行っている。
あひるちゃんというのはとても愛らしいぜんまい式のおもちゃで、 オレが風呂に入るときはいつもいちゃいちゃ、まるで恋人同士のようにいちゃついてるくらいなのだが、 やはり銭湯に行く時にはいっしょに連れていくことができないので、 「ごめんな」とかっこよくつぶやいて一人、 コートのえりかなんか立てて寒風吹き荒ぶ冬の街に出かけたりしている。
あひるちゃんは悲しげな瞳で何も言わずただ黙ってオレの後ろ姿を見つめるのだが、 きっと心の中では何度も何度も「行かないで」と言っているに違いない。
銭湯は男の戦場だ。
男を鍛える道場だ。
天下一武道会だ。
残念だがあひるちゃんを連れていくことはできないのだ。
ベビーパウダーも持って行ってはいけないのだ。
風呂上がりにちんちんとか脇の下とか首すじとかにベビーパウダーをぱふぱふするのは、 とても気持ちの良いもんだが駄目なのだ。
シャンプーハットも駄目なのだ。
男子たるもの家の中ではどんなにリラックスしていても、 いったん外に出たらたしか7人くらいの敵がいるのだ。
7人の敵が具体的に何だったかは憶えていないが、 親戚の結婚式でどこかのおじさんがたしかそんなようなことを言っていた。


だから外に出る時はビシッときめていきたい。
銭湯に行くときも外の男湯仲間になめられないようにしたい。
持っていく荷物は最小限に抑えなければならない。
洗面器と手ぬぐいとセッケン、 男ならこの三点セットのみで勝負したい。
さらに男らしくストロングなかんじを演出したいならその上に亀の子ダワシをプラスするのも良い。
体を洗うとき、亀の子ダワシでゴシゴシこすれば男湯中の注目を集めることになり、 銭湯の達人として語り継がれること間違いなしである。
実際、たまにそういう名人とでも呼ぶべきおじいちゃんを見かける。
しかし無理をしてはいけない。
一度マネしてみたことがあるが、あれは痛かった。
素人には危険だ。
ちくびが取れそうになる。
洗面器はできればアルマイト洗面器の方がそれっぽいのだが、 あれはタイルが傷付くとか言って断る銭湯もあるのでプラスチックの方が無難だ。
手ぬぐいはちゃんとした和式の、タオル地ではない木綿のやつが好ましい。
バスタオルはいらない。
体を拭く時はその手ぬぐいをしぼって使う。
一度ヤクザのおじさんがイブサンローランのバスタオルで体を拭いているのを見たことがあるが、 あれは逆にかなりかっこよかったが、 普通はバスタオルだとなんか軟弱なかんじがするのでやめといた方がいい。
あとセッケンは何でも良いが、シャンプーとかリンスとかは持っていかない方がいい。
銭湯界(どんな界だ)では、シャンプーとかリンスなんてのはあれは女の使うものである、 というような風潮があるので、男湯では髪の毛もセッケンで洗っといた方がいい。
やはりこれも軟弱だと思われてしまう。
三点セットが準備できたら次は銭湯に出かけるときの服装である。
服装次第ですべてが台無しになってしまうこともある。
花柄のパジャマとかは避けといた方が無難だ。
よっぽどの達人ならともかく、素人には着こなしが難しい。
らくだシャツ、ももひき、腹巻き、というのが一番かっこよさそうだ。
そこまできめるのは逆に照れくさい、と言うのならTシャツにスウェットパンツでもいい。
どっちにしろ足元は、下駄、雪駄、草履、サンダルなどの軽いものにする。
さて、全ての準備ができたらいよいよ出発である。
いなかっぺ大将のテーマソング、「大ちゃんかぞえ歌」を口ずさみながら銭湯に向かう。


銭湯の下駄箱の番号はオレの場合、自分の誕生日の8月10日にちなんで、 いつも49番を選んでいる。
いや、今のはちょっとしたギャグである。
「好きな色ですか。ぼくの場合はあれですね、どちらかと言うと女の子っぽい、 ファンシーなかんじの色が好きですね、ぐんじょう色とか。」
というかんじで相手の意表をついたつもりである。
ちょっと分かりにくかったもしれない。
中に入って服を脱ぐ。
ちんちんは隠さない。
でもだからと言って見せびらかしてもいけない。
いくら照れくさいからと言って
「ウェルカムトゥーザジャンゴー。」
などと言ってちんちんをぱんぱんしてはいけない。
あくまでも自然に脱衣を遂行する。
ロッカーに服をしまったら、カギのゴムを左足首にひっかけて中に入る。
手首だとうっとうしいのでカギは足首か上腕部のあたりにかけるのが一般的なようだ。
お風呂の椅子を熱湯でざっと流して腰掛ける。
せっかくだから湯船で体をふやかしといて、それから洗いたいところだが、 それはいけない。
ちゃんときれいに洗ってから湯船につかる。
湯船につかったら勝負スタートである。
自分より先につかっていた人より先にあがってしまったら負けである。
自分より後に来た人が我慢できずに先にあがってしまえば勝ちである。
「オレなんかまだまだ余裕のよっちゃんイカだぜ。」
というかんじをアピールするために鼻歌を歌う。
たまに何にも分かっていない銭湯素人が入ってくることもあるが、 これはもうほとんどの人が勝負をかけてきているので、
それはもう暗黙のルールなので、
「ふふふ、あんた早めにあがっといた方がいいんじゃねぇのか。」
「てやんでい若造が、オレはなぁ、会社ではパッとしねぇが銭湯では負けたことがねぇんだ。 今夜こそ10人抜きさせてもらうぜ。」
「ふぉっふぉっふぉっ、青いのう。銭湯とはこれ楽しむもの。わしはそろそろあがらせてもらうよ。」
「たーろおー、たーろおー、たーろおー、うーるとーらまんったろーっ。」
などというかんじでみんなチラチラ視線が合ったりする。
あの独特な緊張感は銭湯とかサウナでしか味わえない。
なかなかにハードボイルドな男の世界なのだ。
あっ、そうそう、言い忘れたけど湯船につかるときはけっして手ぬぐいをお湯につけてはならない。
たたんで頭にのっけておく。
体を洗った手ぬぐいは不浄なものなので、神聖な湯船にはちょっと触るだけでもいけない。


あがり水をして風呂からあがったらコーヒー牛乳を飲む。
「いや、やっぱりフルーツ牛乳でしょ。」
「ばかもんっ、そのままの牛乳をそのまま飲む、これが正しいんじゃ。」
などという意見も聞こえてきそうだがオレとしてはコーヒー牛乳をおすすめしたい。
そこで何も飲まず、「そのまま急いで居酒屋にかけ込んでビール」という裏技もあるが、 オーソドックスはやはりコーヒー牛乳だろう。
扇風機の風に吹かれつつタバコの一本も吸いたい。
さっきまでの戦場がウソのようだ。
風呂の中ではさっきのおじさんがまだ湯船につかってたりする。
「おじさん、10人抜きがんばれよ。」
などと自然とやさしい気持ちになってくる。
誰も口をきくわけでもなく、みんな無言ではあるが、 脱衣所ではみんなが仲間であり、ファミリーなのだ。
「町内一ピースフルなスポットはその町の銭湯の脱衣所である」
というゲーテの名言を思い出す。
ウソである。
たった今オレが作ったセリフである。


コーヒー牛乳を飲み終わったら、
「ごっそさん」
と一言お礼を言ってから銭湯を出る。
この「ごっそさん」はコーヒー牛乳と良いお湯と二つにかかっている。
そう、お風呂は「ごちそうさま」なのだ。
外に出て空を見上げる。
月がきれいだ。
カラン、コロン、下駄の音が通りにひびく。
向かいを歩いてきた女の人の様子が変だ。
あっ。
服着るの忘れてた。
なーんちゃって。
オチである。




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