虫について
虫を嫌う女の人は多い。
そういう人を見るとなんだかうーんと考え込んでしまう。
子供の頃は青虫や毛虫、場合によってはあのかっこいいクワガタやカブト虫さえも、「きゃー」と言ってあの喜んでんのか嫌がってんのかよくわからないかんじで逃げ回る「女子」を、「けっ」というかんじで眉間に皺などを寄せて睨みつけていた。だがしかし大人になってなんだかそういうワケにもいかなくなってきたのだ。
第一、「けっ」ではもてないではないか。
別にいいじゃん。そんな何の罪もない虫ちゃん達を何の配慮もないまま平気で嫌がれるような女なんかこっちから願い下げじゃん。とファーブル先生に言われそうな気もするが、そういうワケにもいかない。オレは子供の頃から虫が好きだが、大人になった今ではそれ以上に女の人が好きなのだ。
ファーブル先生とは違うのだ。
だから女の人達には心から分かって欲しいと思う。
虫は面白い。
虫は美しい。
虫は楽しい。
虫を好きになってくれとまでは言わない。ただ虫は嫌われて当然の、嫌いであることがあたりまえの存在では決してないのだということだけでも分かって欲しいと思う。
自由の反対語はきっと偏見だ。
オレは虫が嫌いだということは、
自然に根ざした生活を送る世界中の少数民族を野蛮人だ未開人だと馬鹿にしたり、
話す相手のその人種によってありありと態度が変わったり、
犯罪者に眉をひそめたり、
喫煙者を軽蔑したり、
どもり癖のある人をからかったり、
宗教を弾圧したり、
いい歳こいてミュージシャンになるだなんて馬鹿なこと言ってないでそろそろ定職に就いたらどうなんだ、
と言ってみたり、
えっ、おまえん家の便所、水洗じゃないの?
と言ってみたりするのと同じことなんじゃないかと思うのだ。
好奇心の摩滅した人の安易で浅薄な偏見が、しばしば暴力でしかないことを当の本人達は全く気付いていない。
気付いていないから相手が
「わかったようなくちきいてんじゃねーぞ。ばーろー。」
となってしまうんじゃないか。
オレは無知が偏見を生むのだと思う。
「でもさー、偏見の全くない人なんているのかなぁ。」
とでも言われたら返す言葉も無いが、だからこそオレは理解を求めたい。
自分でも気付くことなくケンカを売り続けるようなことをして、相手を傷つけるようなことをして、全く平気だという人はあまりいないだろう。
虫が嫌いだというのはある種の偏見だ。
オレは言いたい。
虫は素敵なんだよ、と。
そして、虫好きな人ってなんだかロマンチックでクールで素敵だと思わないか、例えばオレみたいな、と。
まだ幼い子供の頃、ウスバカゲロウやセミが成虫になって7日間くらいしか生きられないと聞いて、とても悲しくなった憶えがある。
その人生、いや虫生のあまりの短さを想って悲しくなったのである。
あの頃は死が恐ろしかった。
いや、もちろん今だって死が全く怖くないわけではない。
けれども子供の頃は今の何倍も何十倍も死が恐ろしかった。オレは何度もその想像の世界でありありと死を体験した。
たった7日の命だなんて、それじゃあそいつの虫生はいったい何だったのだ。と、哲学的なことを考えたりもした。
オレが虫に興味を持ち始めたのはたぶんあの頃くらいからだったようにおもう。
他の虫好きの人が聞いたらそんなのは邪道だと言うかもしれないが、オレは虫達のその多様性に富んだ面白い生態や、あの美しい姿に魅了されて好きになったわけではなく、最初は人生だとか死だとかを考えるためのひとつのとっかかりとして、虫のことを「考え始めた」のである。
そうしていつしかアリの行列を何時間も見ていたり、虫取り網で蝶を追っかけたりしているうちに、本当に虫のことが好きになっていったのだ。
高校生になってもオレの虫好きはなくなるどころかどんどん加速していった。
朝、学校に行く途中で通りの木にカマキリの孵化するところを見つけて、面白がって見ていたら夕方になっていて、結果的に学校をさぼってしまったこともあった。
17歳にもなってである。
24歳になった今でも基本的にそれは変わらない。
今でも休日の昼下がりの公園で、寝っ転がってアリの行列(沖縄と東京のアリは全然違う)を飽きもせずずっと見てたりする。
虫達の時間の流れはオレ達人間の生きている時間の流れとは全く異なっている。
今ではオレはセミの7日の命をちっとも短いとは思わない。
彼等にとってその7日間はオレ達人間の70年くらいに匹敵するくらいかもしれないからだ。
いや、そもそも人と虫の時間やその密度を比べること自体無意味なことかもしれない。
人には人の生があるように、虫には虫の生があるだけなのだ。
そしてすべての生はすべて同じように平等なのだと思う。
すべての生き物には同じように認識があって、行動がある。
そこにはただ環境とそれに付随した対応の違いがあるのみだ。
人間が世界について考えるように、小さな虫も全身の感覚器官で世界を感じ、
彼等のやり方でその世界に対処している。
認識し行動するという点において、
オレとミジンコは何一つ違わないひとつの単なるむきだしのちっぽけな命だ。
小さな虫達にとっては、ほんの小さな水たまりも広大な海だろう。
ほんの十数分の通り雨もひとつの季節だろうし、
或いはその一生かもしれない。
彼等にとって、隣の小枝へのその道のりのなんと遠いことか。
彼等はその瞬間瞬間をただ黙々と全身で生きている。
全身で食って、全身で歩く。
その時、瞬間が永遠たりえるほどに「全身」で「ひとつ」だ。
オレ達人間にとってだって、生きるということはきっとそういうことなんだと思う。
千利休だって一期一会と言っていたじゃないか。
人間にだって虫の時間を生きることができる。
ただ噛みしめるだけでいいのだ。
虫を嫌う女の人は多い。
けれどどんなに虫が嫌いでも、たとえば自分の子供には「きたない」なんて言わないでほしい。
どんな大都会にだって虫は住んでいる。
もし虫が好きになれば、それはどんなトコロでも楽しめる素敵な価値観をひとつ余計に持つということなのだ。
みなさん、
虫好きな人ってなんだかロマンチックでクールで素敵だと思いませんか、
例えばオレみたいな。
1999 7/17 またよしきわむ
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