アメ玉
太宰治は、さみしいときにはいつも夜の公園に出掛けたという。そしてあやしくもさりげなく、夜の公園のベンチで一人泣いている女の子を探していたという。そういう子を探してどうするのかというと、我らが苦悩する男、太宰治は、コートのポケットをゴソゴソやって、さも今たまたま見つけたみたいにアメ玉を取り出して、
「アメ玉食べる?」
と言ったという。
二人でアメ玉をコリコリしながら街灯の下、二人はベンチに腰掛けて、それはそれは静かな夜でした。というかんじになだれ込んでいったらしい。
「だからおまえはダメなんだ。」
とか、
「そんなんだから心中させられちゃうんだよ。」
とか、そういう声も聞こえてきそうではあるがなかなかロマンチックな話だと思う。
そこでオレも、これはなにかのときにあれかもしれんしな、そういうあれもなんだしな。といってアメ玉を持ち歩くことにしている。
なんだか大の男が今どきアメ玉というのは、もう持っているだけで少し気恥ずかしいものがあり、逆に女の子に何かをあげる、という恥ずかしさを忘れさせてくれるような気がする。シャネルのバッグ(あげたことないけど)よりかはアメ玉とか、くりまんじゅうとかの方が、プレゼントするにはさりげなくてよい気がするのだ。ちょっと笑えるし。
関西に行くと作業服、不精髭、体がっしり、みたいな、『いかにも』なおっちゃんが何でか知らないけど黒糖アメみたいのをよくくれる。
そしてこれはかなりおそろしいことなのだけど、関西ではアメ玉のことを『アメちゃん』と言うので、ヤクザの大親分だろうが、そこいらへんのチンピラだろうが、ホストクラブのナンバーワンホストのジュンイチ君だろうが、社長だろうが社員だろうが、みーんなが、
「アメちゃん持ってへんか。」
とか、
「アメちゃん食べるか。」
とか言っているのである。オレも関西に行って間もないころに、
「なぜ『ちゃん』づけ・・・・・。」
と思ってたものだ。おばさんとかが『にんじんさん』とか言っているのは分かるけど、『アメちゃん』って大の男が言っているのを見るのはけっこう笑える。
アメ玉の力は底知れない。
これがチューインガムだったらこうはいかないのだ。
夜の公園で「アメ玉食べる?」はサマになっても「チューインガム食べる?」では全然サマにならないのだ。
よく女の子とかがガムをくれることがあるが(なぜか女はいつもガムを持ってる気がする。タブレットとか。そういえばうちの母ちゃんもいつもガムを持っていた。)あれなんかも「えっ、オレそんなに息臭かった?」というかんじがしてイヤだ。被害妄想かもしれないけどほっとけというかんじなのだチューイング・ボーン。
食べてる姿にしたってアメ玉のコリコリに対してガムのクチャクチャである。
クチャクチャですよクチャクチャ。いったいそこのトコロはどうしてくれるのですか。夜の公園、ベンチの上、クチャクチャの夜ではいったいこれからの日本はどうなるのですかラ・クカラチャ、というかんじだ。
もうこうなったらついでに言わしてもらうけど、アメリカ人というのは日本人がそばをズルズルやっていると、大袈裟に両手でおぼんを持ってるみたいなポーズをして、
「オー、ワタシビクリシマシタ。ニホンジンベリベリキタナイデス。」
みたいに言うけど、自分たちは何なのだ。いやらしく口を開けてクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャやりやがって。こっちの方がワタシビクリシマシタじゃボケ。という気がしませんかみなさん。
その証拠(何の証拠?)に関西に行ってもけっして『ガムちゃん』とは言わないのだ。
一年前の冬の日、バイトの帰りに人気のない暗い通りを歩いていて、なんだか後ろに人の気配がして振り返ると、そこにはニキビ面の、死んだ魚みたいな目をした男が、周囲3メートルの草木が枯れるくらい邪悪なオーラを漂わせながらオレを睨んでいた。あっこれはヤバいなと直感的に判断したオレは、全く気が付いていないふうを装って、さりげなく速足にその邪悪地帯から撤退を図った。そいつの顔には見覚えがあったのだ。
そいつはその前からオレのバイト先のビデオ屋にちょくちょく来ては、アダルトビデオばっかり集中的に借りていたのだが、その一週間くらいは毎日やって来て、何を借りるでもなく、じとーっと二時間くらいたっぷりオレを睨んでいた。うっとおしいので無視していたらついにこいつは行動に出やがったらしいのだ。
スタスタスタスタオレもかなりの速足だったのだが、そいつはそれを苦ともせず、ずんずんずんずん邪悪に近づいて来て、オレの背後一メートルくらいの所で、
「おい。」
と一言、邪悪に言った。
いきなり後ろからブスリとやられたりしたらイヤなので、しょうがないのでオレも立ち止まり、いよいよ第一回睨み合い選手権が始まった。殴り合いに発展するにしろしないにしろ、だいたいの勝負はそこらへんでついてしまう。だが愛に満ちあふれた、光あふれる素直なオレの瞳と、死んだ魚の邪悪な目では、こっちの方が圧倒的に不利であった。
とっさにオレはコートのポケットに手を突っ込んだ。
ひるむニキビ面。オレが何か武器になるものでも持っていると思ったのだろう。オレの右手はそのスキを見逃さずすばやく相手の目の前に差し出された。
「アメ玉食べる?」
オレの手のひらには小梅ちゃんの小粒がのっかっていた。
いや、待て、帰るな。もうちょっとだけ読んでくれ。いろんな人に話したがみんなオレのネタだと思うらしい。だがしかし本当なのだ。
しばらくの沈黙の後、ニキビ面は小梅ちゃんを受け取った。しかしそれでもまだ釈然としないかんじであった。
「あかん?(なぜか関西弁)しゃあないなぁ、特別やで。」
オレのダメ押しの小梅ちゃん大玉攻撃が決まった。ニキビ面は力の差を思い知らされ、ふかくうなだれて、
「ありがとう」
と言った。
ある合気道の先生は弟子に、
「先生、合気道で一番難しい技は何ですか。」
と聞かれ、
「合気道の技の中で一番難しいのは、自分を殺しに来た相手と友達になることさ。」
と言ったという。
ナイフよりもピストルよりもアメ玉の方が強いこともある。そして確実に言えるとしたら、ナイフよりもピストルよりもアメ玉の方が偉大であるということだ。
アメ玉の力は底知れない。
ウソだと思うんなら言ってみるといい。彼女とケンカした時、女の子を口説きたいけどきっかけがつかめない時、だれかが泣いている時、ポケットからさりげなく取り出して、さりげなく笑いながら、さりげなく言ってみるといい。
「アメ玉食べる?」
と。
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