7年ぶりの沖縄帰省日記
2001 7/18 (沖縄1日目)
大井町からリムジンバスに乗って空港に行こうと思い、ネットでバスの時間を調べて9時15分に大井町に着く。
朝のモノレールは混むから嫌いなのだ。
バスは9時35分に来るはずで、ばっちり予定通りのはずだったのが、ネットで確認していた時刻が間違っていたらしく、バスの到着は10時5分だった。
飛行機の出発が10時35分の予定だったので、かなりあせったのだが、なんとかぎりぎりで飛行機に間に合い、胸をなでおろす。
いきなり最初から波乱含みの旅だ。
13時25分沖縄着。
空が近い。
雲がでかい。
海が青い。
空気のぬめりさえ心地良い。
強烈な陽射しに体を焼かれながら、迎えの車でそばを食いに小禄(地名)へ。
沖縄だ。
帰り道の途中、末吉公園の前を通ったので、少し木陰でビールでも飲もうという話になり、公園に入る。
セミをつかまえたりして遊ぶ。
しかしオレは着実に東京の人間になっているらしい。
ガキの頃は多少汗をかいても全然平気だったのに、少し汗をかいただけですぐにシャワーを浴びたくなる。
セミに触ったら手を洗いたくなる。
いつの間にかオレの野性もにぶったもんだ。
東京では見たこともないが、末吉公園には何匹か野良犬がいて、オレに食い物をせがみに来る。
くいもんならねえぞ、と言って追っ払う。
野良犬の目。
何かを知っている目。
そうだった。
これが南国だ。
母ちゃんが沖縄料理でもてなしてくれる。
実家の様子も少し違っている。
夜ひっちゃんとかっしーに会う。
ハリケーンズは素晴らしいバンドだった。
二人とも沖縄で大活躍しているらしい。
へべれけになるまで酒を飲んだ。
3人でビールを6リットルほどと、泡盛をボトル3本。
謝らなけりゃなんないこと。
ケリをつけなきゃなんないこと。
告白しなきゃなんないこと。
オレはゲロを吐いて、星空を見た。
ハリケーンズは素晴らしいバンドだった。
オレが、オレが何もかも捨てたんだ。
泣くのも、懐かしがるのも、卑怯だ。
何の感慨もなく眺めなきゃいけない。
7年ぶりの沖縄。
初日の夜。
2001 7/19 (沖縄2日目)
9時頃にはもう目が覚めてしまう。
興奮しているらしい。
約束までにはまだゆとりがあったので、近所を散策することにする。
ガキの頃通った通学路は、そんなに変わっていない。
心なしか小さく見えるのはオレが大人になったからだろう。
国場組の弾薬庫のある近所の山は、最近では入る者もいないのか、獣道さえなくなっている。
あそこの奥にはまだあのクワガタの木があるのかな。
あの例の看板はどうなっただろう。
草木をかきわけて奥に行こうかと思ったが、すさまじい蚊の襲撃と、あまりのジャングルっぷりに圧倒されてあきらめた。
14時から沖縄J0HOというタウン誌の取材を受ける。
7年ぶりだというのにありがたいことだ。
CDのレビューを載せてくれるらしい。
なごやかな雰囲気でのインタビュー。
帰りに国際通りをぶらぶらして土産を少し買う。
ついでに高良レコードに寄ると、CDを置いてもらえることになった。
何人か顔見知りの店員。
20時から親父に会う。
一緒に酒を飲むのは初めてのことだし、こうしてゆっくり話すのも初めてのことだ。
親父に「罪悪感なんか持つことはないんだぜ」とやっと言ってやることができた。
親父は泣いていた。
親父がいなくてもオレもおふくろも兄貴も幸せだった。
とてもいい家族だった。
疎外感を感じたのは、下手をすると親父の方じゃなかったろうか。
なんにせよ、もういいかげんわだかまりは消そう。
オレ達はもう個人になってしまった。
オレも兄貴もおふくろも、笑顔を交わすことはできても、もう同じ家庭の一員じゃない。
もう親父もオレも兄貴もおふくろも一緒なんだ。
戻る場所はどこにもない。
オレ達は皆ひとつの同じ巣から飛び立った。
ただそれだけでいい。
そう、もう飛び立ったのだ。
流されてはいけない。
感傷に溺れてはいけない。
真夜中になって桜坂へ。
たけしの店で飲む。
宮平さんと握手する。
さて、たまっていたツケはあとわずかだ。
2001 7/20 (沖縄3日目)
昼頃になってもぞもぞと起き出す。
母ちゃんが親戚のおばさんから特別に譲ってもらった馬肉を馬刺にして食べる。
めちゃめちゃ旨い。
親父の兄貴(つまりオレのおじさん)の奥さん(つまりオレのおばさん)の親父さんは西原町で馬を育てている。
しかし牧場を持っているというわけではなく、ちょっと広めの庭があるだけで、そこに馬屋を作って馬を育てている。
普通の住宅街なので悪臭などに対する近所からの苦情がすごいらしいが、その親父さんは今だに「食用として」馬を飼い、時には近所のアスファルトの普通の道路に馬を散歩に出している。
たぶん沖縄の普通の都会でこんなことをやっているのはその親父さんだけだろう。
殺したての新鮮な馬肉は素晴らしい味だった。
オレは馬を尊敬しているから、自分で殺すのはさすがに胸が痛むかもしれないが、美味しいものは美味しいんだからしょうがない。
馬よ、成仏したまえ。
オレの体の一部になれば、見たことのないものを見せてやるからよ。
いい頃合に兄貴がやって来て今帰仁村(なきじんそん)に出発。
今帰仁村は沖縄本島の北部、本部半島の北に位置している。
人口は何人くらいなのか分からないが、絶対に一万人以上いるということはない。
さびれた田舎の小さな村だ。
最近今帰仁城跡が世界遺産に登録されたらしいが、だからといって観光客がばかばかやってくるというわけでもないらしい。
昔は無料で登っていた城跡に、今では金を払って登るという。
金とるなよ。
オレの母ちゃんは今帰仁村の仲宗根という部落で生まれ育った。
オレもガキの頃から何度も今帰仁村に行って、仏壇のおじいちゃんに手を合わせていた。
昔は高速道路も整備されていなかったし、そもそも車なんかオレ達は持ってなかったから、5時間くらいかけてバスで行ったもんだ。
今回は兄貴のマイカーで行くのだ。
兄貴のカーステが、オレのアルバムと、真心ブラザーズの拝啓ジョンレノンが入っているアルバムと、山下達郎のオンザストリートコーナー3を延々繰り返す中、久しぶりに、本当に本当に久しぶりに、オレと兄貴と母ちゃんは3人でお喋りを楽しんだ。
空はぬけるような青空。
ハンビータウンのとこではけっこうな渋滞に巻き込まれたりする。
こんなニセ東京みたいなのは見たくないって。
お台場のミニチュアみたいじゃないか。
沖縄にはもっと素晴らしいものがあるじゃないか、と思ったところで、昔いかに自分が東京やそれに代表されるような「都会」に憧れていたかを思い出す。
思い出の瀬底大橋を廻って、新垣ぜんざい屋に向かう。
沖縄で一番、つまり世界で一番旨いと言われている、おばあさんが一人でやっている小さな小さなぜんざい屋さん。
ああ、はやく食いたい、とたどりついたら閉まっていた。
はやくも一日分すべて売り切れたという。
大人気なのね。
母ちゃんの実家に着いて、久しぶりに仏壇に手を合わせる。
今はもうおじいちゃんもおばあちゃんも死んでしまって、ここには長男夫婦が住んでいる。
おばさんの話す方言がところどころしか理解できない。
「あんたもないちゃーになってしまったさー。」
おばさんが言う。
そうだね。
オレ、ないちゃーになってしまったよ。
ないちにいればいたで、うちなーんちゅとしか言われないけど。
今帰仁村でゴムぞうりとかんじのいい田舎っぺ帽子を買う。
夜は那覇の実家で親子3人酒を飲みながらゆっくり話す。
親父とはどんな話をしたんだと2人とも興味津々。
特に話すようなことはないよ。
3人ではなすといつもケンカになるのだが、今回はケンカにもならず、親密な時間を過ごすことができた。
朝方まで酒を飲んで、翌朝起きたのは午後になってからだった。
2001 7/21 (沖縄4日目)
昼過ぎに起きる。
が、また寝る。
けっこう疲労がたまっていたらしい。
予定では今日の昼は平和通りでおみやげを買う予定だったのだが、19日にある程度買っていたので、しばらくうだうだすることにする。
夕方5時頃から東京から会社の社員さんのHさん一家が来ることになっている。
今回の帰省では、会社のTさん(沖縄人)やHさん一家と同じ時期に沖縄に行くことになり、せっかくなのでHさん一家は沖縄の初日は又吉家に泊まることになっていた。
うつらうつらしているうち、Hさん一家到着。
子供達は台風のようだ。
センチメンタルな気分も一気に吹き飛び、テンションがガッと上がる。
子供と一緒に家の庭の木にとまっているセミを取ったりして遊ぶ。
夜からTさんセッティングの飲み会にHさん一家と一緒に行く。
明日はTさんセッティングのバーベキュー大会が名城ビーチで開催されることになっている。
参加人数は20人くらいになるという。
Tさんおそるべし。
今夜はそのちょっとした前夜祭というわけだ。
ビールをぐびぐびやりながら島らっきょうの天ぷらなどを食う。
美味。
夜。
家に帰ってから、子供達を寝かしつけ、Hさん夫婦と居間で二次会。
馬刺や、うんちぇー(沖縄の葉野菜)の炒め物やじーまーみー豆腐を食う。
明日はバーベキューだ。
海水浴だ。
楽しみ。
2001 7/22 (沖縄5日目)
朝の7時30分に起きる。
眠い。
しかし今日はバーベキュー大会なのだ。
海岸でビールを飲むのだ。
迎えに来たTさんの車に乗り込み、いざ名城ビーチへ。
きれいに晴れた空に大きな入道雲がかかっている。
雲の下に入るとスコールのような土砂降りの雨が降っているのだが、雲は大して大きくないのでしばらく走っていると雲の下を脱出してしまう。
晴れと雨の境目を通り抜けると大きな虹が見えた。
ここは夏の沖縄なのだ。
その強烈な陽射しの下の白っぽい景色も、ときおり吹き抜けるどこか潮の匂いの混ざった風も、オレが
子供の頃に感じていたままそのまま、今も当たり前に広がっている。
ふと立ち眩みのような感覚に襲われる。
無一物で一人ただ寄る辺のない海に浮かんでいるような感覚。
後悔さえしようのない、取り返しのつかない故郷で、もはやオレはどこに行ってもよそものなのだ。
オレは沖縄との何か大切な絆を断ってしまった。
目の前の景色が思い出のように、はかなく美しく見える。
オレは歌を歌っていこうと改めて強く決意する。
海。
イェー。
海イェー海イェーイェー。
海イェー海イェーイェー海イェー海イェーイェー海イェー。
沖縄に住んでいた頃は、海水浴なんかちっとも楽しくなかったのだが、めちゃめちゃ楽しいよ、海水浴。
Tさんのセッティングはビューティフルで、美味しい肉と、本格的な生ビールサーバーと、生ビール80リットルがシステムキッチンか何かのコマーシャルのように「キラーン」と音をたてて光っていた。
素晴らしい。
ギターとマラカスも用意されている。
ミュージシャンならたくさんいるぜ。
歌い、踊り、泳ぎ、食い、飲み飲み飲んで、ハンモックに横になる。
そのあまりのはしゃぎようは、その後語り草となったらしい(本当に)。
おさらくあの日、誰かが宇宙から地球を見ていたとしたら、地球が少し明るくなったのがはっきりと見てとれただろう。
海や風に、しっかりとオレの笑顔をしみこませといてやった。
しあわせ。
泥酔。
17時頃にあわてて引き上げ、国際通りに向かう。
他の皆は夜まで騒ぐと言っていたのだが、オレには兄貴がセッティングしてくれたライブがあるのだ。
Tさんから借りたギターを握りしめ、後ろ髪をひかれつつ、県道336号線をとばす。
のどのコンディションは最悪だ。
騒ぎすぎて枯れてしまっている。
ま、えてしてこういう時こそいいライブができたりするのだ。
大丈夫マイブラザー。
ドンウォーリービーハッピー。
酔っている。
ほら見ろ素晴らしいライブじゃないか。
心のこもったいい歌が歌えた。
客はあまり入っていなかったが、どこからかギャラも出るというし、久しぶりに兄貴に生で歌を聞いてもらったし、とても満足だ。
とても満足だ。
いよいよ明日は東京に帰る。
2001 7/23 (沖縄最終日)
沖縄の海が、風が、空が、水平線が、そこで生まれ育った者にどのように見えるのか、オレははっきりと知っている。
とにかくこんなに美しいものでないことは確かだ。
オレは実家の近所の高い丘の上に立っていた。
前と後ろに水平線があって、ここが海に囲まれた小さな島なのだということがはっきりと分かる。
高校生の頃、好きだった女の子とここでキスしたっけ。
オレは昔から、この丘が好きだった。
母ちゃんとケンカした時も、夜中までここに座っていた。
ここから見える景色は美しい。
7年ぶりの今、それは泣き出しそうなほどに美しい。
どんなものだって遠く離れれば離れるほど美しく見えるというのは真理だと思う。
美しさとはかなしさだ。
とりかえしのつかないすべてを、人は愛しく思うものだ。
オレは「故郷」が懐かしかったのではない。
オレは「思い出」が懐かしかったのではない。
オレはおそらく「この世」が懐かしかったのだ。
オレはたぶん、なんだかとんでもないところに立っている。
子供の頃、「カモメのジョナサン」という本を何度も読んだ。
食うために飛ぶカモメの中で、たった一匹だけ飛ぶために飛んだカモメの物語だ。
物語の中で、ジョナサンはある日神のような存在になって、もといた群の中に帰る。
そして自分と同じようなカモメを探して、「カモメ」の生の持つ真の意味を伝授しようとする。
この物語を読みながら、オレは何度も、自分も神のような存在になって、廻りの者にすべてのものごとの本質的な意味を、教え導く姿を夢想した。
オレは傲慢な子供だったのだ。
はたしてオレもいつの間にか飛ぶために飛ぶようになって、群を捨てて旅に出た。
そして今になって思うのだ。
食うために飛ぶのだってとても素敵なことだと。
ただ「違う」だけなのだ。
ジョナサンは自分を見つめるということが、最も価値のあることなのだと思い込もうとしたのじゃないだろうか。
誰もが命をかけて自分を見つめる必要なんてどこにもない。
オレ達は好きで飛ぶんじゃないか。
オレはいつの間にか「カモメのジョナサン」は、ジョナサンのかなしい復讐の物語なのだと思うようになった。
飛ぶために飛んだジョナサンが、教えるために飛んだ時、ジョナサンは取り返しのつかない大切な何かを自ら汚してしまったのだ。
9年前、オレは沖縄を捨てた。
家族を捨てた。
仲間を捨てた。
恋人を捨てた。
自分勝手にならなければできないことがあった。
今だって「それ」のために邪魔だと感じたらどんなものであろうと躊躇なく捨てるだろう。
必要なものがあれば迷いなく手に入れようとするだろう。
オレはたったひとつのことだけのために、もう9年も生きている。
これからもたぶんずっとそうだろう。
オレは「この世」を懐かしがっていたのだ。
どこにいたって同じように、オレはよそものなのだ。
ぜんぶなにもかも分かり切っていたこと。
オレは当たり前のことを当たり前に確認して、当たり前の感慨を当たり前に眺めていた。
言えなかった別れの言葉を、今更だけど言いに来たよ。
オレはわざわざ口に出して「ありがとう」とつぶやいた後、丘を後にした。
次に来る時は、オレはきっとただのはしゃいだ観光客になっているはずだ。
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