| 1974年(昭和49年) 0歳〜1歳 |
沖縄で父全次、母末子の間に生まれる。 体重が2490グラムしかない未熟児だったが、母親が強引に家に連れて帰り、保育器には入れられずにすむ。 |
| 1975年(昭和50年) 1歳〜2歳 |
この頃は団地住まいだったのだが、両親が共に働いていたため、同じ団地の石川さん宅に預けられる。 朝、母親の通勤と共に石川さん家に行き、夜、母親の帰宅時に自宅に戻るといった生活が3歳まで続く。 石川のおばさんを「ママ」、母親を「母さん」と呼んでいた。 |
| 1976年(昭和51年) 2歳〜3歳 |
ほとんど記憶にない。 |
| 1977年(昭和52年) 3歳〜4歳 |
那覇市三原にあるナザレ保育園に入園。 この頃に親戚と遊んでいて、頭に大ケガをする。 以来、今だにそのハゲが残る。 |
| 1978年(昭和53年) 4歳〜5歳 |
沖縄県那覇市立石嶺幼稚園入園。 両親が離婚。 その前からも歌うのが好きだったが、この頃から異常に歌うようになる。 うんこの時、歩いている時、お風呂の時、とにかくいつも歌っていた。 |
| 1979年(昭和54年) 5歳〜6歳 |
幼稚園の友達のT君とあぶない関係に。 「何かいけないことをぼくらはしている」という意識はあったのだが、 何だか良く分からないが気持ちいいということで、ちんちんをこすりつけあってばかりいた。 |
| 1980年(昭和55年) 6歳〜7歳 |
沖縄県那覇市立石嶺小学校入学。 |
| 1981年(昭和56年) 7歳〜8歳 |
小学校2年生になり、石垣花子先生というとても素敵な教師と出会う。 朝の会、帰りの会、休み時間、先生はいつもオルガンを弾いて一緒に歌ってくれた。 音楽の時間には、オレはいつも勝手に一人で前に出て踊っていた。 |
| 1982年(昭和57年) 8歳〜9歳 |
いじめにあう。 ズボンとパンツをとられ、フルチンで家に帰ったりする。 |
| 1983年(昭和58年) 9歳〜10歳 |
プロレスごっこに燃える。 |
| 1984年(昭和59年) 10歳〜11歳 |
平井先生というとても嫌な教師に出会う。 悪い人ではなかったが、何かあると必ずオレのせいにしていた。 |
| 1985年(昭和60年) 11歳〜12歳 |
ファミコンに燃える。 大がかりな秘密基地を作ろうとするが失敗する。 週に1本ほどタバコを吸うようになる。 マスターベーションを覚える。 |
| 1986年(昭和61年) 12歳〜13歳 |
兄貴が高校を卒業し、東京に行く。 以降、母親と二人暮らしに。 沖縄県那覇市立城北中学校入学。 毎日タバコを吸うようになる。 |
| 1987年(昭和62年) 13歳〜14歳 |
中学校が石嶺中学校と城北中学校とに分離。 1学年14クラスだったのが7クラスになる。 分離した先の仲間達とバンド結成。 初めて東京に行き、西日暮里の兄貴の部屋で夏休みを過ごす。 その際、東京ステーションギャラリーで初めてピカソの「泣く女」を生で見て、ものすごい衝撃を受ける。 |
| 1988年(昭和63年) 14歳〜15歳 |
春先頃に初ライブ。 以降、バンドの活動本格化。 |
| 1989年(平成元年) 15歳〜16歳 |
沖縄県立首里高等学校入学。 ライブしまくる。 「YAMAHAティーンズミュージックフェスティバル」で審査員特別賞受賞。 路上でリンチにあい、死を覚悟する。 |
| 1990年(平成2年) 16歳〜17歳 |
兄貴帰郷。 路上で歌いはじめる。 夏休みの1ヶ月間、映画「パイナップルツアーズ」に制作スタッフ(食料班)として参加。 その際、伊是名島で見た「祭り」に非常に衝撃を受ける。 「BSヤングバトル」で審査員特別賞受賞。 |
| 1991年(平成3年) 17歳〜18歳 |
NHK大河ドラマ「琉球の風」のオーディションに合格。 応募総数5000人くらいの中から、合格の男はオレ一人という狭き門だった。 高校を休学し、半年ほど東京で収録。 いろいろな芸能人に会い、かわがってもらったり、いじめられたりする。 生まれて初めて雪や桜を見る。 ある友人に出会い、レコードやCDを3000枚くらい聞かされ、非常に勉強になる。 |
| 1992年(平成4年) 18歳〜19歳 |
高校に復学、そして中退。 坂本スミ子さんのステージ(沖縄ジァンジァン)で、歌わせていただく。 スミ子さんがオレを絶賛してくれ、オレとても喜ぶ。 「グレイスランド」でベストボーカリスト賞受賞。 バンド停止。 悟ろうと思い旅に出る。 フェリーで鹿児島に渡り、じわじわ北上を始める。 以降ホームレスに。 |
| 1993年(平成5年) 19歳〜20歳 |
いったん沖縄に帰る。 詩人の三代目魚武濱田成夫さんと出会う。 とても勉強になる。 |
| 1994年(平成6年) 20歳〜21歳 |
また沖縄を離れる。 三代目魚武濱田成夫さんに招待された小学館主催の合宿セミナーで作家の橋本治さんに「スターと名乗れ」と言われる。 以降、自らをスターと称するようになる。 その後大河ドラマの監督に東京まで呼ばれNHKのドラマ「水辺の男」に洋一役で出演。 三木のり平さんの魂を勝手に受け継ぐ。 高円寺にアパートを借りる。 |
| 1995年(平成7年) 21歳〜22歳 |
富士山登頂。 100人の友達(アルバムの中の)とおにぎりを食べ、幼稚園からの懸案事項であった約束をはたす。 その時ついでに担いで登った50キロ相当の土のう袋により、富士山を1メートル高くすることに成功。 そのことにより平成7年7月7日の夕暮れの30分間、富士は3777メートルのスリーセブンとなった。 30分後、国土法に基ずき土のう袋を撤去。 |
| 1996年(平成8年) 22歳〜23歳 |
吉祥寺曼陀羅で定期的にライブをするようになる。 8月8日に恋人と入籍する。 |
| 1997年(平成9年) 23歳〜24歳 |
コロムビアレコードの新人発掘プロジェクトで発掘され、レコーディングやオーディションに精を出す。 |
| 1998年(平成10年) 24歳〜25歳 |
コロムビア社の経費削減によりプロジェクトが空中分解。しかし全く落ち込まず。 いろいろと悩みはあったものの、自分の歌に対しての自信が揺らぐことはなかった。 NHKドラマ「おじさん改造講座」のエンディングテーマを歌う。 試しに詩集を送ってみたら講談社の漫画オープンで賞を貰う。 詩集の受賞は漫画賞初。 インターネットを始め、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」に文章を載せてもらったりする。 |
| 1999年(平成11年) 25歳〜26歳 |
娘誕生。 「歌手になって欲しいわけじゃない。どんな職業についても、どんな生き方をしてもいい。ただ、どんなことがあっても、歌うように生きて欲しい。人は歌う時、本当の意味での無心になれる。素直な心で現実と見つめ合うことができる。」というようなことを考え「歌姫」と名付ける。 三上寛氏から「夢は夜ひらく」を譲り受ける。 |
| 2000年(平成12年) 25歳〜26歳 |
ホームページ開設。日記を書き始める。 いやあ何ヶ月もかかったよ。 この頃から藤澤卓とよくつるむように。 卓ちゃんと一緒に蕎麦屋さんでライブをやったりする。 |
| 2001年(平成13年) 26歳〜27歳 |
5月、ファーストアルバム「ハロー印」完成。 7月、ロックバンド「ザ・バカンス」結成。以降、どんどんエレキ化していく。 ボーカル又吉究、ベース佐藤ヨシヤ、ドラム横田達。 夏、7年ぶりに沖縄に帰省。 故郷からもう遠く離れてしまっている現在の自分を省みて孤独感を噛み締める。 これからはちょくちょく帰ろうと心に誓う。 妻との離婚を考えるようになる。 |
| 2002年(平成14年) 27歳〜28歳 |
バカンスドラムの横田達が弁護士として沖縄での就職が決まり脱退。 リードギターに元イエローモンキーズのコウジが加入。 コウジの紹介でドラムにジュンペイが加入。 経済的に困難な生活が続く。 娘の今後のことも考え、バーでも経営してみようかと画策する。 沖縄で舞台の仕事のオファーを受け、数ヶ月沖縄で暮らす。海を眺めている時、離婚を決意する。 入籍した日でもある8月8日に妻と離婚。 ベースの佐藤ヨシヤ脱退。新ベース佐々木加入。 |
| 2003年(平成15年) 28歳〜29歳 |
ベースの佐々木脱退。新ベースにヒロミチが加入。 吉祥寺の居酒屋「ミシシッピ」のマスターのカクさんがサポートギターとして数度ライブに参加。 コウジが脱退の意思を持ち始める。 バンドが分解。 ベースのヒロミチと一緒にやっていくことを誓い合う。 |
| 2004年(平成16年) 30歳〜31歳 |
ドラムに幼なじみの金城修がサポートとして加わり、なんとか新生バカンスとしての活動を再開。 オレ、ヒロミチ、オサム、結局全員が昔からの沖縄の仲間同士でのバンドとなる。 半年ほどかけてゆっくりとレベルを向上させる。 |