徒然またよし日記・7月






なんか良くは分からないんだけど、
この日記才人というやつのランキングに参加してみました。
ランキングが上がれば上がるほどさらにお客が増えるというかんじの雰囲気です。
オレを助けると思って登録してみて下さい。
こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。


2001 7/1

今日はボクシングの世界戦があった。
つくづくオレは「応援」というものが嫌いだと再確認する。
なぜ応援なんかするんだろう。
男の戦いは応援するもんじゃない。
見届けるものだ。
応援はしばしば実際に戦う人間に対してとんでもなく失礼だ。
応援なんかして他人の勝ち負けばっかり気にすることを恥ずかしいとは思わないのだろうか。
プロの試合は、それが何であれ、生き様や技術を見るべきものだと思う。

子供が映画を見て、大人に聞く。
「ねえ、どっちが善者でどっちが悪者なの?」
それがどんな種類の映画であれ、その子供には勧善懲悪というたったひとつの視点からでしか「ストーリー」をはかれないのだ。
困った質問だと思う。
世の中は善悪をつけられないものがほとんどだ。
良い映画ほど善の中にも悪を、悪の中にも善を描いている。

「勝ち」や「負け」は単なる結果である。
試合の面白さというものはそんなものとは全く別のところにある。

チャンピオンはアグレッシブに出ていった。
そのことの持つ意味は大きいと思う。

負けたチャンピオンは実に色気のあるいい顔をしていた。
「美しさ」という点で言えばかなりの大差でチャンピオンの勝利だったように思う。
チャレンジャーはある意味とてもいい「悪役」を演じた。
いい試合だった。
TOKIOのコメントは最悪だったけど。

プロというのは負け様を見せるものだと思う。
この世に負けない者はいない。
「負け」があるからドラマが生まれる。
転ばなければ立ち上がれない。
「負け」は終わりでなく始まりなのだ。


2001 7/2

ザ・バカンス

ザ・バカンス

ザ・バカンス

ザ・バカンス

新しいバンド名もだんだんしっくりしてきた。

スタ−又吉究の新しいバンドだ。

ザ・バカンス

これはえらいことになるぜ。

かっこいいもの。

今日のスタジオで確信した。

これはすごい。

かっこいい。

すべてはオレの天才ゆえ。

7/6。吉祥寺曼陀羅。

これは絶対来た方がいいぜ。


2001 7/3

今日もスタジオ。
本番さながらの練習。
ベースがへたる曲が一曲あるのだが、それ以外はいいかんじ。
上手くいくといいのだけど。

とにもかくにもライブが楽しみ。


体重は62キロまで落ちた。

とにもかくにもライブが楽しみ。


2001 7/4

今日はアメリカの建国記念日か。
沖縄では嘉手納カーニバルやってる頃だ。

明後日はライブ。
18日からは沖縄。

高校の頃一緒にバンドをやっていたひっちゃんに電話を入れて、18日の夜に酒を飲もうという話になった。
いろいろなことを思い出して、ノスタルジックになって、なんだか泣き出してしまいそうな夜だ。
7年ぶりの故郷はどうなっているんだろう。

もうオレも大人になった。
たまっているツケを返すにはいい頃合だ。
母ちゃんがセッティングしてくれてオヤジにも会うことになったし。

オレの人生の全体を考えても、7月のこの一ヶ月は印象深い季節になるんだろうな。

ザ・バカンス。
沖縄。
そしてまだ何も話せないが、芝居の仕事の話もある。

ここいらへんがオレの人生の正念場なのかもしれない。


2001 7/5

ということで明日。
よろしく。


2001 7/6

ビールを飲んでいる。
昼飯を食ってテレビを見ている。
もうすぐシャワーして着替えて出かける時間だ。
体調は悪くない。

それではみなさんライブで会いましょう。
そろそろ行きます。


2001 7/9

ただいま。
少し日記さぼっちゃったな。
6日のライブは大成功だったよ。
ドラムの横田タツシ、大活躍。
これでオレが何をやりたかったのか、皆にも少し分かって貰えたと思う。

しかしロックは疲れる。
フォークの頃とはライブ後の疲労が段違いだ。
6日の夜ライブで出会ったジェフというアメリカ人が打ち上げで突然「明日一緒にやらないか」と言うので「やる」と即答。
それで7日は南阿佐ヶ谷の「ドラム」という店でライブ。
その盛り上がりのままライブ後、クラブに行き朝まで飲み踊る。
そしたら8日は見事にダウン。
一日中ごろごろしていた。

ザ・バカンスかっこいい。
いや、ロックなオレが前よりさらにかっこいい。
見てない人は見においで。
ザ・バカンス、今度は8月17日。


2001 7/10

ベースの佐藤ヨシヤとはバイト先が一緒なのである。
部署が違うのでずっと一緒という訳ではないが、昼メシの時などは一緒に食う。
社員食堂での昼メシが終わると、近くの公園で打ち合わせやバカ話などをする。
今日はヨシヤが「キワムは選挙とか行くの?」と聞いてきたので、得意の持論を一席ぶってやった。
結局の話、選挙に行って投票するというのは、国家政府に何かをやってもらおうというということだ。
何かを国に期待している自分を認めるということだ。
てめえのケツはてめえでふける人間でいたいというなら、選挙になど行かない方がいいよな、とオレは言った。
でも年寄りになって体が思うように動かなくなったら頼りは国しかないじゃないか、とヨシヤが言う。
そんなのちっともロックじゃない。
自分のことが自分でできなくなったら死ぬのが当たり前だろうとオレが言うと、ヨシヤはしばらく黙ったあと、そっか、と言った。
じじいになって、体が動かなくなったらのたれ死ぬんだ。
それは自然なことだと思う。
それが嫌なら自分で独自に保険を用意しとくべきだ。
国に期待するんじゃなく。

いつの日か、オレの考えも変わるかもしれない。
どうしても納得いかない法律ができれば、変えるために戦うかもしれない。
投票しないことが正しいと言うつもりはない。
投票に行くも行かないも、それぞれの自由だ。
でもなぜ投票するのか、具体的に何をどうしたいのか、明確な意志がないのなら、そこには何の意味もないと思う。
変革を望むなら、投票以外の行動の方がよっぽど重要だ。
どんなデータをもとにどう考え、どの政党を選ぶかが重要だ。
投票以外に自分に何ができるのかも考えるべきだ。
誰かが政党Aに投票しようという。
そいつはその政党がどのような企業団体から献金を貰い、どのような法案に賛成し、どのような法案に反対したか、どのような公約を掲げていて、またこれまでにどれくらいの公約を実現させたか、ちゃんと知っているだろうか。

何事も自分の頭で考え、疑うことが大切だ。
雰囲気だけで行動するのは、そりゃノリが良くって結構かもしれないが、ちゃんと考えた後にしてもらいたい。

最近の小泉ブームは、森バッシングと大して違わないようにオレには見える。
雰囲気で行動する奴ってオレ苦手。
無知な大衆ってかんじ。
文句言ったり期待したりするばっかりで自分では何もしないんだな。


2001 7/11

昨日の日記にちょっとした反論があった。
どうも言葉の足りないところがあったらしい。
改めて読みなおしてみるとなるほど誤解を招きそうな表現があちこちにある。
少し補足させてほしい。
そもそもオレ自身、人間の存在のある二面性について混同して書いていたことから誤解を招いたのだと思う。
それについて少し。

人間は責任ある、パブリックな市民としての顔と、パーソナルな市民としての顔と、ひとつのアイデンティティーを持った個人としての顔の、大きく分けて3つの顔を持っている。
パブリックな市民としては、投票や市民運動、社会的な趨勢やルールなどについてコミットし、行動することは義務とさえ言えるかもしれない。
しかし同時に人は家に帰れば父だったり、恋人だったり、職業を持って生活する生活人だったりもする。
これもある意味社会的な存在と言えるので、パーソナルな「市民」としての顔ということになるが、多少「個人」寄りだ。
アイデンティティーを持った個人の顔というのは求道者の顔だ。(オレのエッセイ「求道者たれ」参照のこと)
求道者にとって「現実」も「社会」も単なる条件でしかない。

「アイデンティティーの確立」というのはとても難しく、重要な問題だと思う。
しかし「アイデンティティーの確立」は、しばしばその過程において、社会と逆立する。
「社会」に立脚して築かれた論理と、「個人」に立脚する論理は、これは大昔からずいぶんと「そり」があわないものらしい。
仏陀もキリストもソクラテスも孔子も老子もマホメットも、全く社会的な人間ではなかった。
例えば厳格な寺では、おそらく投票する者はいないだろう。
出家僧は世間に惑わされてはいけない。
ただひたすら自己の内面を見つめなければならない。
投票などに行ったら怒られるだろう。

きちんと働いてちゃんと納税して社会情勢にも気を配り、社会の一員として責任と意志を持った人間であることは大切なことだと思うし、それを侮辱する気も毛頭ない。
しかしそれ以前に人間は自由に考え、自由にメシを食い、自由に眠る「個人」であるはずだ。
人間にとっての普遍的な真理は、人間にとって普遍的な事柄からしか抽出できない。
社会性や責任などというものをいったん頭から外して、常識に捕われず、人間本来の普遍性を模索した者でなければ、真の意味での「アイデンティティー」を得ることはできない。
「沖縄県民」や「日本国民」や「父」や「母」や、まして「社会責任」などに真の意味での個人のアイデンティティーなどあろうはずがない。
根気強く実存について考えた者は、ほぼ確実に社会と逆立してしまう。

先の哲学、宗教の偉人達ほどではなくても、誰にだって責任ある大人としての対応などできないし、したくもない、というような場面があると思う。
責任ある、パブリックな市民としては暴力に訴えるべきでなくても、パーソナルな市民としては、例えば目の前であからさまに友人や恋人や家族を侮辱されたりしたら、やっぱりたいがいの奴は相手をぶん殴るんじゃないだろうか。
また逆に、例えば環境問題についての政治的な運動に熱中するあまり、職を失い家族を失うのでは、一体本当の問題はなんなのかという話になる。

オレは昨日の日記で、皆が意識に欠けていることを指摘したかったのだ。
投票に行かないのなら、その落とし前として、国家に何も頼るべきじゃない。
投票するのなら、きちんと社会的な責任についても考えるべきだ。
投票をやめただけでいっぱしの思想家きどりでいたり、投票しただけで社会的な立派な市民のつもりになったりするのは醜い。
どっちにしろ覚悟が問われるし、どっちにしろ厳しい落とし前を取らされる、ということが言いたかったのだ。
自分の行動と責任について、「社会」へのスタンスについて、自己のアイデンティティーについて、考えてみてほしかったのだ。

オレはそろそろ、今のように「社会」と距離を持って思想的な独立を保っていられなくなる。
健康保険使っただけで、もうオレは今のように偉そうなこと言えなくなるんだもの。
思想的な独立というのなら、国のサービスはひとつも受けるわけにいかない。
いずれもっと思想的に複雑な絡みが出てくるだろう。
おそらく今回の選挙が最後だ。
オレはアナキストだと、
オレは実存主義者だと、
オレは純粋な求道者だと、
社会などどうでもいいと、
強がりでなく、
つっぱりながら言えるのは。
投票なんかファックだと言えるのは。

一個人としては、パブリックな市民として、大人の態度で付き合えない事態があるということだけでも理解してほしい。
思考の筋道によっては、投票さえも、ひとつの思想を破壊する大きな矛盾となることは、個人の実存に関わる一大事となることは、大いに有り得るのだ。
仏陀も老子も賛成してくれると思う。
実存と向き合う者にとっては、しばしば世間は敵となる。


4/20の日記、「アンネクー・カイアペクー」も参考に読んでいただけるとさらにありがたい。


2001 7/12

ここんとこ固い話が続いたので今日はおもしろトークをする予定だった。
が、今日は酒飲んできたのでとても眠い。
眠ります。
おやすみ。


2001 7/14

昨日は夜通し酒を飲んでいた。
今日は一日ぼーっとしていた。
ギターを弾いて新曲の練習をする。
ふむ。
明日のスタジオでちょっと試してみよう。

それにしてもオレ達のバンドはかっこいいな。

きっとすぐに評判になる。


2001 7/15

「つっこみ」はやはり標準語よりも関西弁の方がカドが立たなくてよいようです。
「いいかげんにしろよっ」よりは「ええかげんにせいっ」、「なんだよそれ」よりは「なんでやねんっ」などと言った方が好ましいかんじがします。
標準語では時にケンカを売られていると勘違いされてしまいます。
そもそも「ボケてかわす」という習慣が関東には昔からあまりなかったらしく、お笑いで言うところの「お約束」が通用しない場合が多々あるようです。
ダジャレをとばされた場合、愛のあるつっこみとして後頭部を手刀などで殴打することが関西圏ではよくあるのですが、関東だと逆ギレされたりします。

しかし東京の人間がつっこみの時だけ関西弁になってしまうのでは、なんだか不自然でいさぎよくないかんじもします。
関東の言葉でも爆笑問題やさまぁーず、キャイーンなどのつっこみはとても自然ですので東京の人は参考にしてみるといいかもしれません。

つっこみの役割は主として、相手の言った面白い部分を(例えば繰り返すことによって)強調し、補強し、笑いのポイントを際立たせるという点にあるでしょう。
しかしつっこみの他の役割、例えば会話の話題をスムーズに展開させたり、時には終了させたりする、「会話」の指揮=コンダクトの役割も無視できません。

私の場合、「あいづち」的な使い方で、細かく相手につっこんだりしています。
会話のスムーズな進行を促すためです。
どう考えても面白くないネタを延々とされたりした場合も、これはもうつっこむ以外ありません。
笑いの教養の低い人間は、力いっぱいのストレートで「面白くないよ」とか、「何が言いたいの?」などと言って、下手をするとその人の今まで築き上げてきたサムシングをなにもかもぶち壊しにして、自殺に追い込むくらいのダメージを与えたりします。
こういう場合はうまくシャレとして成立させてあげ、やんわりと話題を別の方向に持っていくようないい「つっこみ」が必要になってきます。
例えば、「誰やねんっ」。
あなたにはいったい今どなたがお乗り移りになっておられるのですか、どのような動物に取り憑かれていらっしゃるのですか、普段のあなたではないっ、みたいなかんじで、あくまでもネタ自体には触れず、相手の繰り返しやしつこさにだけつっこみたい場合に有効です。
くだらないことをしつこく繰り返してくる相手にはこれがいいでしょう。
標準語なら「っていうかおまえ誰だよっ。もういいよっ。」などで対応しましょう。
又は「こわいわっ」(お姉言葉ではない。関西弁である。)などを使っても効果的です。
ニュアンスとしては、「こわいわっ」は、「誰やねんっ」と比べて少し強めのつっこみになりますので、使う場合多少注意が必要です。
これは上級者向けのつっこみと言えるかもしれません。
さらに言えば「もうええわっ」、あるいは多少古い言い回しですが「ええかげんにせいっ」というのもあります。
これは相手が確信犯である場合以外は使えません。
相手にボケの認識がなく、しかも関東人であった場合などには、ほぼ確実にケンカになります。
最も強いつっこみであり、ほとんど確実にその話題を終了させることができます。
上手くはまると、漫才師になったような気分を味わうことができるでしょう。

もちろん「誰やねんっ」、「こわいわっ」、「もうええわっ」などは基本中の基本であり、プロフェッショナルになればなるほど、以前の会話から全く別のネタを引っ張ってくるなどして、さらに「深み」を持ったつっこみを使うことになります。
また、あくまでもこれらのつっこみはすべてやんわりと別の話題に移行するためのつっこみなのであり、つっこみの主目的である「強調」や「補強」、「ポイントの明確化」などがありません。
ほんの少しでもそのボケに「見込み」があった場合は、なるべく拾ってふくらませてあげるのが、人として正しい態度だと私は考えます。

ボケとつっこみ、このふたつを上手く使いこなし、みなさんも「お笑い」的に高度な会話を楽しんでください。

ちなみに。

ホームページの掲示板などでは、素人の場合なら「(笑)」を上手く利用するのもいいでしょう。
つっこみの「トゲ」だけが消えて、イヤミのない書き込みにすることができます。
あまりにも安易な方法ですが、場合によってはプロをも笑わせることができます。
もちろん、あまり多用すると向上心のない人間だと思われる恐れもありますが。


2001 7/16

金持ちになっても
やっぱりいじけたまんま
恋人ができた
友達ができた
みんなやさしいぜ

いけ好かない奴をぶん殴った
強くなったのさ
強くなったのさ

いい女を抱いた
男になったのさ
男になったのさ

すべては変わるはずだったんだぜ
すべては変わるはずだったんだぜ

何もかも捨てて
この街にやってきて
それでも見上げるたびに思うのさ
オレはいつまでたってもいじけたまんま



長渕剛がテレビに出ていた。
なんとなくこういう歌詞が出てきた。


明後日からはいよいよ沖縄。
帰ってきたら、一気に日記を更新するからね。
沖縄にはコンピューターを持っていけないから、ノートに日記をつけとくよ。
ほんじゃ。


2001 7/17

行ってくるよ。
23日の夜中にはたぶんドカッと更新してると思う。
沖縄のみやげ話を楽しみにしといてくれ。


2001 7/23

戻ってきたよ。
母ちゃんも喜んでたし、沖縄料理も食ったし。
今回の旅にはとても満足している。
今日は疲れているから、詳しい話は明日ね。
おやすみ。
東京は暑い。


2001 7/24

ちょっとヤボ用ができて、明日早起きしなけりゃなんなくなったよ。
とりあえず18日の日記。

2001 7/18

大井町からリムジンバスに乗って空港に行こうと思い、ネットでバスの時間を調べて9時15分に大井町に着く。
朝のモノレールは混むから嫌いなのだ。
バスは9時35分に来るはずで、ばっちり予定通りのはずだったのが、ネットで確認していた時刻が間違っていたらしく、バスの到着は10時5分だった。
飛行機の出発が10時35分の予定だったので、かなりあせったのだが、なんとかぎりぎりで飛行機に間に合い、胸をなでおろす。
いきなり最初から波乱含みの旅だ。

13時25分沖縄着。
空が近い。
雲がでかい。
海が青い。
空気のぬめりさえ心地良い。
強烈な陽射しに体を焼かれながら、迎えの車でそばを食いに小禄(地名)へ。

沖縄だ。

帰り道の途中、末吉公園の前を通ったので、少し木陰でビールでも飲もうという話になり、公園に入る。
セミをつかまえたりして遊ぶ。

しかしオレは着実に東京の人間になっているらしい。
ガキの頃は多少汗をかいても全然平気だったのに、少し汗をかいただけですぐにシャワーを浴びたくなる。
セミに触ったら手を洗いたくなる。
いつの間にかオレの野性もにぶったもんだ。
東京では見たこともないが、末吉公園には何匹か野良犬がいて、オレに食い物をせがみに来る。
くいもんならねえぞ、と言って追っ払う。
野良犬の目。
何かを知っている目。
そうだった。
これが南国だ。

母ちゃんが沖縄料理でもてなしてくれる。
実家の様子も少し違っている。

夜ひっちゃんとかっしーに会う。
ハリケーンズは素晴らしいバンドだった。
二人とも沖縄で大活躍しているらしい。
へべれけになるまで酒を飲んだ。
3人でビールを6リットルほどと、泡盛をボトル3本。
謝らなけりゃなんないこと。
ケリをつけなきゃなんないこと。
告白しなきゃなんないこと。
オレはゲロを吐いて、星空を見た。

ハリケーンズは素晴らしいバンドだった。

オレが、オレが何もかも捨てたんだ。
泣くのも、懐かしがるのも、卑怯だ。
何の感慨もなく眺めなきゃいけない。

7年ぶりの沖縄。
初日の夜。



続きは明日ね。


2001 7/25

昼下がり。
突如として空が暗くなり、やがて雨音がアスファルトを叩き出した。
乾いたアスファルトに小さな丸いにじみがみるみるうちに広がっていって、いつの間にかオレは夕立の中に立っていた。
稲妻が轟き、オレは空に顔を向ける。
額や頬に直接雨粒を感じた。
いい雨だ。
東京にもたまにこんな雨が降る。
いい雨だ。

昨日のつづき。
沖縄2日目。

2001 7/19

9時頃にはもう目が覚めてしまう。
興奮しているらしい。
約束までにはまだゆとりがあったので、近所を散策することにする。
ガキの頃通った通学路は、そんなに変わっていない。
心なしか小さく見えるのはオレが大人になったからだろう。
国場組の弾薬庫のある近所の山は、最近では入る者もいないのか、獣道さえなくなっている。
あそこの奥にはまだあのクワガタの木があるのかな。
あの例の看板はどうなっただろう。
草木をかきわけて奥に行こうかと思ったが、すさまじい蚊の襲撃と、あまりのジャングルっぷりに圧倒されてあきらめた。

14時から沖縄J0HOというタウン誌の取材を受ける。
7年ぶりだというのにありがたいことだ。
CDのレビューを載せてくれるらしい。
なごやかな雰囲気でのインタビュー。
帰りに国際通りをぶらぶらして土産を少し買う。
ついでに高良レコードに寄ると、CDを置いてもらえることになった。
何人か顔見知りの店員。

20時から親父に会う。
一緒に酒を飲むのは初めてのことだし、こうしてゆっくり話すのも初めてのことだ。
親父に「罪悪感なんか持つことはないんだぜ」とやっと言ってやることができた。
親父は泣いていた。
親父がいなくてもオレもおふくろも兄貴も幸せだった。
とてもいい家族だった。
疎外感を感じたのは、下手をすると親父の方じゃなかったろうか。
なんにせよ、もういいかげんわだかまりは消そう。
オレ達はもう個人になってしまった。
オレも兄貴もおふくろも、笑顔を交わすことはできても、もう同じ家庭の一員じゃない。
もう親父もオレも兄貴もおふくろも一緒なんだ。
戻る場所はどこにもない。
オレ達は皆ひとつの同じ巣から飛び立った。
ただそれだけでいい。
そう、もう飛び立ったのだ。
流されてはいけない。
感傷に溺れてはいけない。

真夜中になって桜坂へ。
たけしの店で飲む。
宮平さんと握手する。

さて、たまっていたツケはあとわずかだ。



19日の日記、ここまで。
明日は20日の日記ね。


2001 7/26

ふと気がつくと明日はライブだ。
忘れてた。
明日は早めにバイトに行って、はやめにトキモンに行かなきゃなんないから沖縄3日目はお休みね。
たぶん明日はも休むと思う。

沖縄に帰ったらばんばん詩が書けたでしょう、と、ある人。
それがそうでもないんだよ。
なんか詩想はすぐそこまでやってきてるんだけどな。
技も、意志も、体力も、すべては揃っている。
カモン詩想。
詩想ばっかりは、本当、どっかから降ってくるとしか言いようがない。
曲調なら適当なのを盗めばいいんだけど。
詩想は、誰からも盗めないし、学べない。
詩想が枯れてしまったら、たぶんオレはすぐにアル中になって死ぬんだろうな。
伝えたいことがはっきりしているのに、一向に詩想はやってこないなんて、きっと拷問に違いない。


2001 7/30

手足口病というなんだか名前だけは怖ろしい病気にかかってしまった。
27日のライブはなかなかのもので、家に帰って気持ちよく眠りについたのだが、翌日、悪寒と熱に悩まされ、その翌日(つまり昨日)には強烈なノドの痛みと手、足、口(の中)に小さな水泡(痛いのよまたこれが)が無数にでき、食事もなかなかノドを通らない状態。
手が痛くてギターも弾けなければ、キーボードを打つこともできない。
命には全く別状もないし、放っときゃ勝手に治るというしょーもない病気なのだが、とてもつらい。

沖縄日記のつづきの方はもちっと待ってね。

ベロがひりひりする。
タバスコを一気飲みした15分後の状態がずっと続いているかんじ。


2001 7/31

一日中家でゴロゴロする。
明日からは仕事行かなきゃ。
イボイボもひいてきたし。

さて、沖縄3日目の日記。

2001 7/20

昼頃になってもぞもぞと起き出す。
母ちゃんが親戚のおばさんから特別に譲ってもらった馬肉を馬刺にして食べる。
めちゃめちゃ旨い。
親父の兄貴(つまりオレのおじさん)の奥さん(つまりオレのおばさん)の親父さんは西原町で馬を育てている。
しかし牧場を持っているというわけではなく、ちょっと広めの庭があるだけで、そこに馬屋を作って馬を育てている。
普通の住宅街なので悪臭などに対する近所からの苦情がすごいらしいが、その親父さんは今だに「食用として」馬を飼い、時には近所のアスファルトの普通の道路に馬を散歩に出している。
たぶん沖縄の普通の都会でこんなことをやっているのはその親父さんだけだろう。
殺したての新鮮な馬肉は素晴らしい味だった。
オレは馬を尊敬しているから、自分で殺すのはさすがに胸が痛むかもしれないが、美味しいものは美味しいんだからしょうがない。
馬よ、成仏したまえ。
オレの体の一部になれば、見たことのないものを見せてやるからよ。

いい頃合に兄貴がやって来て今帰仁村(なきじんそん)に出発。
今帰仁村は沖縄本島の北部、本部半島の北に位置している。
人口は何人くらいなのか分からないが、絶対に一万人以上いるということはない。
さびれた田舎の小さな村だ。
最近今帰仁城跡が世界遺産に登録されたらしいが、だからといって観光客がばかばかやってくるというわけでもないらしい。
昔は無料で登っていた城跡に、今では金を払って登るという。
金とるなよ。
オレの母ちゃんは今帰仁村の仲宗根という部落で生まれ育った。
オレもガキの頃から何度も今帰仁村に行って、仏壇のおじいちゃんに手を合わせていた。
昔は高速道路も整備されていなかったし、そもそも車なんかオレ達は持ってなかったから、5時間くらいかけてバスで行ったもんだ。
今回は兄貴のマイカーで行くのだ。

兄貴のカーステが、オレのアルバムと、真心ブラザーズの拝啓ジョンレノンが入っているアルバムと、山下達郎のオンザストリートコーナー3を延々繰り返す中、久しぶりに、本当に本当に久しぶりに、オレと兄貴と母ちゃんは3人でお喋りを楽しんだ。
空はぬけるような青空。
ハンビータウンのとこではけっこうな渋滞に巻き込まれたりする。
こんなニセ東京みたいなのは見たくないって。
お台場のミニチュアみたいじゃないか。
沖縄にはもっと素晴らしいものがあるじゃないか、と思ったところで、昔いかに自分が東京やそれに代表されるような「都会」に憧れていたかを思い出す。
思い出の瀬底大橋を廻って、新垣ぜんざい屋に向かう。
沖縄で一番、つまり世界で一番旨いと言われている、おばあさんが一人でやっている小さな小さなぜんざい屋さん。
ああ、はやく食いたい、とたどりついたら閉まっていた。
はやくも一日分すべて売り切れたという。
大人気なのね。

母ちゃんの実家に着いて、久しぶりに仏壇に手を合わせる。
今はもうおじいちゃんもおばあちゃんも死んでしまって、ここには長男夫婦が住んでいる。
おばさんの話す方言がところどころしか理解できない。
「あんたもないちゃーになってしまったさー。」
おばさんが言う。
そうだね。
オレ、ないちゃーになってしまったよ。
ないちにいればいたで、うちなーんちゅとしか言われないけど。

今帰仁村でゴムぞうりとかんじのいい田舎っぺ帽子を買う。

夜は那覇の実家で親子3人酒を飲みながらゆっくり話す。
親父とはどんな話をしたんだと2人とも興味津々。
特に話すようなことはないよ。
3人ではなすといつもケンカになるのだが、今回はケンカにもならず、親密な時間を過ごすことができた。
朝方まで酒を飲んで、翌朝起きたのは午後になってからだった。







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