徒然またよし日記・1月前半
なんか良くは分からないんだけど、
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こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2002 1/9
ただいま。
やっと帰ってきたよ。
たくさんの懐かしい顔に会った。
たくさん涙を流して、たくさんパワーをもらった。
オレの足跡はしっかり残っていたよ。
ハリケーンズはいろんな奴等に影響を与えていたんだな。
そうそう10年前の恋人にも会ったよ。
結婚して離婚してまた結婚して、最近子供が出来たんだそうだ。
しっかりと握手をして別れた。
少しはしゃぎすぎたようで、東京に戻ってから体調が悪い。
今日も早寝させてもらうよ。
たまっていたメールの返事はもうちょっとたってから書く。
2002 1/11
先月からの風邪をひきづってるなーと思っていたらダウンしちまった。
なんてこっただ。
風邪シロップを一気のみして栄養ドリンクを一気のみすれば、たいていの風邪は治ってしまうという噂を聞いたので試してみたが、どうにも通用しない。
明日はライブなのだが、どうなんでしょう。
午前中に病院に行って点滴でもうってもらおうかと思う。
明日はいいライブにするよ。
沖縄の連中に負けてられないからな。
ヒマな奴は目撃しにおいで。
2002 1/13
昨日はなかなかにいいライブだった。
風邪のせいでのどの調子は最悪だったけれど、ギターのセッティングがとても上手くいって(沖縄のひっちゃんありがとう)、全体のサウンドとしては今までのライブの中でもトップクラスにまとまっていたように思う。
まだまだいじくらなければいけない部分はたくさんあるけれど、バンドは順調に育ってきている。
またどんどんカンフル剤を注射していってどんどん変化していきたいな。
曼陀羅で初めてライブをやったのはたしか7年前だったと思う。
それ以来、ほとんど月に一回というペースをくずさずに、常に曼陀羅で歌いつづけてきた。
それが一番大切なのだと思っていた。
誰かがオレに会いたくなったらいつでもオレを見つけられるように、ハコを替えたり、ライブの間隔を空けたりすることを極力避けつづけた。
東京で。
同じ場所で。
オレの旗をずっと振り続けていようと思ったのだ。
オレはいつだってここにいるぜと。
ここで歌っているぜと。
けれども最近思い直したんだ。
オレは旗を振りながら、歩き出すことにした。
今年はもっといろんなハコでライブをやるよ。
とりあえず東京中を、パレードして廻るんだ。
オレは先頭で、皆をばかでかい声でたたきおこしながら歩いてみようと思う。
きっと起こるだろういろいろなトラブルの中で、オレはまた新しく証明してやるつもりなんだ。
とても楽しみにしている。
2002 1/14
午後の街を近くのお寺まで散歩した。
寒桜にはもうぽつぽつと花が咲いていた。
ひんやりとした空気にやけに清潔なあざやかさだ。
途中のおでん屋で大根をひとつとロールキャベツをひとつ、たまごをひとつとがんもを買ってビールを一杯。
派手な和服姿の女の人数人とすれ違って、ようやく今日が成人式だったことに気がつく。
境内に座ってタバコを吸いながら、やっぱりお寺はいいものだなと思う。
沖縄にはあまり寺がない。
沖縄だって日本なのだからこういう言い方は変なのかもしれないが、日本にやって来て驚いたことのひとつにお寺や神社の多さがある。
そうそう、おじぞうさまを初めて見たのも18になって沖縄を出てからだ。
古い豪奢な建築の荘厳な雰囲気は異邦から来たオレを圧倒した。
オレはその神聖さに敬意を持ったし、同時にここで自分が異分子であることを強く認識した。
我々にはウタキがあり、ウガンジュがあり、ニライにつながる海があり、密林の墓地がある。
ここには全く違った風土と、それに根ざした文化が存在するのだ。
テレビで見た、教科書に載っていた、当たり前の「日本の風景」が、南島から来た無垢な若者の心をどれだけ揺り動かしたことか。
ふとこの間沖縄に帰った時に見た平和の礎(いしじ)を思い出す。
戦後50年を記念して建造されたその御影石の石碑の群れには、沖縄戦の犠牲者約23万人の現在確認できている全ての名前がびっしりと彫られている。
時にはおそらく自分の家族や友人の名前なのであろう、石碑に彫られた名前をいつまでもやさしく指でさすりながらたたずんでいる老人がいる。
オレと兄貴は二人で祖父の名前を探した。
夕暮れだった。
手の届きそうな空だった。
昼間に来れば資料館のコンピューター検索で簡単に名前の場所が特定できるらしいが、オレ達の着いた時にはもう資料館も閉まっていた。
いつまでも続く名前の列をオレ達は無言でたどっていた。
石碑は岬に建っているので潮騒が響いていた。
沖縄らしい強い風がふいていた。
こんなに小さな南の島の、この美しい風土の中、都会的な厳しさとは無縁に育った善良な人々が、それぞれがそれぞれに生活を抱えながら、この戦争のせいで突然殺されてしまったのだ。
オレはしばらくうずくまって泣いてしまっていた。
平和の礎の隣りには平和記念の塔が建っている。
その中には大きな金色の仏像が鎮座しているが、オレは子供の頃からあの大仏に違和感を感じていた。
ふとそんなことを思い出した。
帰りには商店街で鳥安の焼き鳥を買った。
鳥安の「ひな皮」は絶品なのである。
おばあさんが一人店頭でやっている持ち帰り専門の小さな焼き鳥屋なのだが、どこかの有名店よりも確実に旨いのだ。
とても仕事がていねいで、皮はすべて同じサイズのきれいな長方形で、均等にたたまれて串にささっている。
スジや脂もすべて手作業できれいに取り払われている。
ひな皮50円、やきとり70円、ねぎ80円、レバー60円。
とても安い。
「ここのやきとりはとても仕事がていねいでとても美味しいですね。」
と言うと、
「一人でやってますから、昔からこのやり方なんで他のやり方を知らないだけなんですよ。」
とおばあさん。
しずかな良い休日をおくれた。
2001 1/15
もっともっとたくさんの人にバカンスのライブを見て感じてほしい。
見れば分かるんだぜ。
オレがただのほら吹きじゃないってことが。
こんなにも、バカンスを知らない人がいるってことは、たいがいの場合オレを楽しくさせるけど、時に残念な気分にさせる。
2月までには、しっかりデモテープを作って、ライブハウスまわりをしっかりやんなきゃな。
そこのしかめっつらの君。
ライブにおいで。
どうせ君もオレを好きになる。
本当だ。
これはウソじゃない。
2002 1/16
昼間にいい思いつきがあって、今日はぜひこれを日記の話題にしてやろうなどと考えていた。
とてもわくわくしたのである。
しかしどうだろう。
夜になってコンピューターの前に座るとすっかりその話題を忘れてしまっている。
なんという屈辱だ。
そういうことはけっこうある。
逃した魚は常に大きい。
くやしいのでいずれ書こうと思っていたとっておきの話題をひとつ。
沖縄に帰った時にある男が「いつかポルシェを乗り回してみてえな。」とつぶやいた。
それで思い出したのだが、身近な友人であるTさんも以前「いつかはフェラーリだよな。」と言っていた。
その男にもTさんにも言ったのだが、ポルシェやフェラーリを買う金があるんなら、オレなら子供の頃からいつか乗りたいと思っていたタイムボカン型の自動車を特注したいと思う。
あのカブト虫ボディで街を疾走したらさぞかし爽快だろう。
タケヤリマフラーかなんかのやつで。
金がないのなら量産品でもしょうがない。
しかし金があるのなら車だけでなく、何にしたってやはり誰も持っていないようなモノを持ちたいもんだ。
そう言うとその男は笑って言った。
「タイムボカンじゃナンパしてももてないだろ。寄ってくるのは千秋みたいな女ばっかになるんじゃねえの。」
ガキの頃から貧乏だった。
ああ、ルースターズはかっこいいな、ザ・モッズはかっこいいな、と思うたびにかなしくなったものだ。
オレ達はただの貧乏なケツの青いパンクスで、彼等には洗練された都会の不良のかっこよさがあった。
だからといってピストルズのマネがしたくても、ビビアンウエストウッドは目玉が飛び出るほど高かったし、そもそも沖縄のような田舎にはそのショップさえ存在しなかった。
ラバーソウルを履きたかった。
皮ジャンが着たかった。
皮パンも着たかった。
みんな高価なしろものばかりだった。
オレの考え方を根本から覆したのは何といってもザ・ブルーハーツだ。
「ダイエーでもいいじゃん。セッタでもいいじゃん。オリジナルならいいじゃん。」
オレにはヒロトがこう言ってるように見えた。
中学生のオレはその頃マウンテンバイクが欲しかったのだが、速攻で自宅のママチャリを改造した。
旗を立てて、どぎつく色を塗って、結婚式の車みたいに空き缶を結びつけて、ハンドルを逆につけて(沖縄では「鬼ハン」と呼ばれていた)、近所のクリスマスツリーについていた電飾を(かっぱらって)あしらって、偉そうに町を流した。
独自であることが最もかっこいいことなのだ。
反逆こそが美しいのだ。
権威に尻尾を振ったらおしまいなのだ。
その時に、今にも続くオレの美学が形作られた。
金を持っていて、ハンサムで、ジョークが面白くて、いい車に乗っていて、高級なレストランで食事を奢ってくれて、高級なホテルの高級な部屋を予約していれば、あたしすぐに股を開くわよ、と公言する女はいないが(もしいたら逆にかっこいいと思う)、どこかの女の心の底にはシンデレラ願望というかプリティーウォーマン願望が根強くあるらしく、これまたどこかの男達はすぐにその女の理想に乗っかってもてようとしたがるようだ。
くだらない。
オレはそういう男をつかまえて、「あなたは金を持っていて、ハンサムで、ジョークが面白くて、いい車に乗っていて、高級なレストランで食事を奢ってくれて、高級なホテルの高級な部屋を予約してくれたけど、頭の中はからっぽなのね。あたしとんちのきかない男に興味ないの。」と言ってのける女にこそもてたいと思う。
「どこかの二枚目タレントなんかよりスター又吉究の方がだんぜんステキ。」と思えるような素質がない女には、オレはまったく興味がない。
オレには自信がある。
オレにとっての素敵な女には、オレは絶対にほれられるはずだ。
あのくだらない土俵以外では、オレは絶対に負けないからだ。
金なんかなくったってオレのかっこよさは毛ほども傷つかないが(生活にはかなり不自由するが)、もし仮に金を握ったのなら、どうせなら身の回りはスターらしい特注品で固めたいものだ。
タイムボカンの車に、キノコの家に、とんでもない柄のスーツに(裏地にはもちろん特攻服みたいな刺繍入りね)、フルカスタムのママチャリに、スターオリジナルの指輪(これは近いうちに作る予定なのでどんなもんかは内緒)に、竹馬みたいな、または昆虫みたいな革靴に、地球防衛軍が使っていたテレビ携帯電話型腕時計(これは今の技術なら作れるはずだ)に、歌舞伎の石川五右衛門が使うようなばかでかいキセルに、と、欲しいものならたくさんある。
みんなどこにも売っていないものばかりである。
誰かのブランドにのっかろうとはオレは露ほども思わないのである。
ちなみに千秋はけっこうタイプなのだ。
2002 1/17
今日は雨の降る寒い日だった。
ふと去年会った女のことを思い出した。
あれはもしかすると一昨年だったかもしれない。
彼女は福岡に住んでいた。
二人とも旅先で出会った。
オレは彼女を傷つけてしまったのだろうか。
あなたを傷つけたくなかった。
2002 1/19
昨日は友人のライブだったので下北沢にいたのだった。
バカンスのベーシストのヨシヤが下北に住んでいるのでついでに誘った。
少し早めに着いたのでヨシヤとビールを飲んでいたら酔っ払ってライブに遅刻してしまう。
ソーリーソーリーと言って席について歌を聞く。
帰りにはネブラスカに寄って朝まで酒を飲んだ。
今日起きたのは午後5時である。
ぼんやりとテレビを見ていた。
熱々の風呂にゆっくりつかってもみあげをそろえた。
細く真っ直ぐのすっきりした形に変えてみた。
餅を焼いてノリを巻いて砂糖醤油で食った。
今日の東京は寒い。
ホットカーペットの上で食うみかんがうまい。
明日は久しぶりの何の予定も入っていない休日だ。
思う存分寝坊をしてやろう。
そして読みかけの本を読破してやるのだ。
2002 1/20
ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスというバンドの名前は知っていたが、ちゃんと聞いたのは一昨日が初めてだったのである。
とても素晴らしい。
今日はゆっくりと聞き込んだのである。
ジミヘンはロックの基本みたいなもので、誰でも知っているからオレは聞く必要なしだと思っていたのだが、やっぱいいものはいいのだ。
ザ・バカンスはこういうバンドにならなきゃいかん。
すごく参考になる。
チャレンジしたい目標ができた。
年内を目標にやるつもりだ。
次に出したい音が決まった。
目標があると練習も楽しい。
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