徒然またよし日記・10月前半
なんか良くは分からないんだけど、
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こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2000 10/1
例えば「僕はこれから何をしたらいいんだろう」と、僕が悩んでいたとする。
しかしほとんどの場合、僕はその問いをほんの10秒もそのままにしておくことができない。
その問いはすぐさま僕の中でこう変わってしまうのだ。
「僕はなぜそもそも何かをしなくてはならないと感じているんだろう。」
と。
どんな問題でもそうだ。
今月の家賃が払えなくて困っている時にも、僕の頭はその金策のことなどうっちゃって自分自身に問い続けるのだ。
「ではなぜ家賃を払わなければならないんだろう。宿無しになるということはそんなに困った事態なのだろうか。僕の恐れている問題の本質はいったい何なんだろうか。」
どんどん自分の心の深い部分に入って行き、自分の問題がそもそもいかにして問題であるのかを問うのは、心の平静を保つためには大切なことだ。
僕はそう詳しくは知らないけれども、心理学のプログラムでも同じ様なやり方がなされている。
それは少なくとも「有効」なのだ。
「問題」の自分の心理に与える具体的なリスクと、それを乗り越えることによって得られるであろうメリットと、また実際にその「問題」を経験するであろうそもそもの自分の我慢強さとを明らかにしさえすれば、後は簡単な算数の問題を解くように足したり引いたりすればいいだけなのだから。
僕にはありとあらゆる僕の「問題」が結局のところ僕の罪悪感から出ていたことを知っている。
いや。
僕にとって真に問題たりえるのは罪悪感でしかなかったのだ。
そして罪悪感を感じることは恐怖だった。
僕の考え方の「クセ」はとても「有効」に結論を引き出してくれる。
僕は僕を困らせる「怪物」の正体を知っている。
この世のどんな「問題」だって僕をノイローゼにすることはできないだろう。
今の所は。
でもだからと言ってそれが何だと言うのだ。
泣いて悲しんだり、恐怖に耐えかねて暴れたりできれば、いっそその方が楽だったに違いないのだ。
僕にはもう、僕にやれることをやるだけしかない。
そして。
とても寂しいことに。
僕にできることはもういくらもないのだ。
大人になるってのは楽じゃねーな。
2000 10/2
明日はライブ。
晴れるといいけど。
2000 10/5
シャンプーの時には目を固ーくつぶる。
子供の頃からのクセである。
もう絶対シャンプーは目のとこに垂れていないし、その危険性もないくらい水分も少ない泡なのに、オレは体がふるえるくらいギューッと目をつぶる。
そこで地震が起こったらいったいどうしよう。
今日ふと思ったのである。
もうダメなのである。
オレにはシャンプー中に目を開けることなど絶対無理なのだ。
だから頭に泡をつけて目をつぶったまま避難しなければならない。
たとえ命がかかっていても体が言うことをきかないのだ。
目をつぶったままガスの元栓を手探りで閉めて、手探りでギターを取って、手探りで服を着て逃げなければならない。
なんか1時間くらいかかりそうだ。
神様、どうかシャンプー中に大地震がきませんように。
2000 10/6
えーと。
どうしよう。
どう考えてもこれ予言してるよね、オレ。
えっ?
何がって?
もー。
ほら、ちゃんと読んでよ、昨日の日記を。
ほら。
今日、鳥取で大地震があったんだってよ。
・・・・・。
なんか怖くない?
オレって凄くない?
なんかね、言われてみれば確かにあったね、インスピレーションが。
シャンプー中に地震がきたら嫌だなぁ、とか思ったその瞬間にあったもの。
砂丘とかのイメージが。
なんか砂丘っぽさ出てたもん。
っていうか砂丘まるだしだったもん、オレのシャンプーっぷりは。
鳥取と言えば鳥取砂丘。
ね。
前から何か普通の人と違うかんじだったんだよね、オレ。
いつかどこかの霊能者に「紫色のオーラがでていますね。」とか言われたことあったし。
ああ、どうしよう。
占いとかしないよ。
1回につき5000円とか言わないかんね。
ライブのたんびに終わった後占いやってみようとか、明日東急ハンズにタロットカード買いに行って来ようとか思ってないかんね。
本当に。
これでテレビに出れるとか思ってないんだから。
スターの肩書きに「占い師」って書こうなんてこれっぽっちも考えてないんだから。
本当に。
2000 10/7
フランスの社会学者でロジェ・カイヨワという人がいる。
この人は1958年にヨハン・ホイジンガという人の「ホモ・ルーデンス」(1938年)という本への批判を込めて「遊びと人間」という本を書いた。
ホイジンガという人はとても名前の響きが面白く、オレはなんでか知らないが(たぶん実家の本棚にあったんだと思う)小学生くらいからそういう人がいることを知っていた。
「ホイジンガ」なんて日本人なら吹き出してしまいそうな滑稽な響きなので、君も今日から他人のくだらないギャグに大げさにずっこけて見せる時とかに、「ホイジンガッ」などと言ってずっこけてやるといい。
とても面白いから。
まあとにかくインパクトのある名前だ。
今日の話は直接ホイジンガさんとは関係のない話なのだが、まあ「つかみ」としてはいい話だと思う。
ホイジンガッ。
さて、今日は「カイヨワ」さんの話だ。
社会学の世界ではなかなかに有名なカイヨワさんなのだが、普通の社会人はあまり知らないだろう。
「カイヨワ」ではやはり「ホイジンガ」に比べて名前の響きがインパクトに欠けるし。
まあいいや。
この人の書いた「遊びと人間」という本をちょっと前に読んだのだけど、それで少しみんなのしあわせの役に立ちそうな話が書いてあったので、普段ならこんな話はしないのだけど、ちょっとだけみんなに紹介してみたいと思う。
このカイヨワさんは人間の「遊び」というものを真面目に考えた結果、「遊び」というものは全てがある4つのカテゴリーに分類できると考えた。
すなわちアゴーン(競争)、アレア(博打)、ミミクリー(ごっこ)、イリンクス(めまい)である。
「遊び」というのは人間存在の根幹に関わるテーマだし、芸術活動一般にも関わってくる重要な概念であるから、「遊びとは何か」がはっきりすれば他のいろんな議論ももうちっとスムーズになるというものである。
カイヨワさんはとても真面目に、隣に江戸っ子がいたら「大の男が細けぇことぐじぐじ言ってんじゃねぇぞ、このバカタレが。」と言われて殴られるようなことを真剣にこつこつとやったとても偉い物好きなのである。
遊びがある程度分類できたから何なんだ、という意見も聞こえてきそうだが、なんかこの世にごまんとある、いや、ありそうに見える「遊び」の種類をたったの4つぽっちのカテゴリーにまで絞り込んだのは大した仕事だと思う。
先に言ってしまうとカイヨワのカテゴリーには「造形」が入っていないじゃないか、とかいう議論も今だにあるようで、どこかの学会では大の大人が今だにやりあっているらしいが、オレのような素人はそういう真面目な人が地道に議論してどうにかはっきりしてきた話だけを横からいただいて、役に立ちそうなことだけを勝手に解釈してやるつもりなのだから、関係のない話だ。
何が言いたいかと言うと「これからするオレの話を鵜呑みにしてはいけないよ」と言いたいのだ。
カイヨワさんの言ってることだっていろいろとあやしいとこがあるので、読者のみなさんはこれからオレの言うことを眉に唾をつけて読んでほしい。
オレみたいな中学しか出ていないようなヤツの言うことなんて真面目には聞かないでくれ。
オレだって本当はあんまし意味分かってないんだから。
カイヨワさんとオレとで二重にズレてる可能性だってある。
んで、アゴーン(競争)、アレア(博打)、ミミクリー(ごっこ)、イリンクス(めまい)である。
全ての「遊び」はこの4つに分類できるとカイヨワさんは言うわけである。
じゃあ具体的に言ってもらおうやんけ、偉そうなこと言うとってちゃんとその中に入らへん「遊び」があったらしばくぞ。
じゃああれや、ブランコはどれじゃ。
ビー玉はどれじゃ。
鬼ごっこはどれじゃ。
隠れんぼはどれじゃ。
どのミミクリーがアゴーンなんじゃ。
みみっちい(ミミクリーとひっかかったダジャレになっている)ことばっかり言いやがって。
という意見が聞こえてきそうだが、そんくらいなら簡単に分類できるのである。
びっくりですね。
何かを分類するというのは普通、とても腹が立つことなので、人は何がしかの「分類」に会った時どうにか「穴」を見つけようとする心理が働くものなのだが、まあカイヨワさんの言うことには一応、スジが通っているのだ。
だから分類くらいなら誰でも出来るんだよ。
「この世には2種類の人間しかいない。アフロのヤツとそうでないヤツだ。」とか。
「あたしは自分にとって楽しいことだけをやるの。だってこの世には楽しいかそうでないかしかないんだもの。」とか。
そんなのはアホでもできるんだ。
まったくもう。
カイワレだか胃潰瘍だか知らねえけど、うっとうしいこと言うな、もう。
という意見も聞こえてきそうだが、そういう人とはオレはもう遊んであげない。
さっきから話のコシを折られてだんだんイライラしていたのである。
「という意見も聞こえてきそうだが」ばっかり言ってる気がする。
ちょっと黙っててくれないか。
インテリっぽく怒ってみたい。
そういう人は無視して話を続けたい。
・・・・なんか長くなってきたのでこの話のつづきは明日。
でもなんか明日になったら全く違う話をしてそうで嫌だよな、オレ。
2000 10/8
ダメだ。
酔ってる。
昨日のつづきは明日。
2000 10/11
アゴーン(競争)というのはビー玉や、将棋、かけっこ、スポーツ一般などである。
アレア(博打)というのはコイントスやジャンケン、パチンコなどである。
ミミクリー(ごっこ)というのはまあ普通のごっこ遊び。
イリンクス(めまい)というのはジェットコースターに乗ったりであるとか、ブランコとかである。
もちろん、アゴーン(競争)の中にもアレア(博打)やミミクリー(ごっこ)が入っているといった具合に「遊び」の種類によってはいろいろと重複するところももちろんあるが、これが「色の三原色」のようにすべての「遊び」の基本になっていると、カイヨワさんは言うわけである。
そしてさらにカイヨワさんはその4つ(アゴーン(競争)、アレア(博打)、ミミクリー(ごっこ)、イリンクス(めまい))にパイディアとルドゥスという、新たな縦軸を設けて、自分の論をうまく秩序立たせようとしている。
パイディアとルドゥスというのは、例えば色で言ったら黒と白のような、明暗みたいなもんである。
パイディア(素朴)、ルドゥス(洗練)とでも言った方がいいかもしれない。
例えばアゴーン(競争)でもパイディア的なのが「かけっこ」で、ルドゥス的なのが「野球」だとか「サッカー」などのスポーツである。
パイディアに始まりどんどん自らのへの「縛り」をきつくしていって、あえて障害となるような約束を多くして、最終的にルドゥスになる、といったかんじに進化みたいなかんじで理解すると分かりやすいかもしれない。
さて。
今のは本当にざっと簡単に説明させてもらったのだけど、どうだろう、何かみんなのしあわせの役に立っただろうか。
やっぱダメだろうか。
もうちょっと説明すれば、最終的にはみんなも「あーいい話聞いたなあ」となるに違いない。
もうちょっと辛抱ししてくれ。
で、話を元に戻して。
やっぱりショッピングや食事は遊びじゃないよなあ、と思う。
世の中の人は「真面目に仕事をして、遊ぶ時は遊ぶ」なんて言う時、よくショッピングやら食事やら飲酒を「遊び」と言っていたりするが、それは違うだろう。
それは「遊び」ではない。
遊びというのはなるほど、カイヨワさんの言うようにくらべっこや賭けやごっこや宙返りのことを言うのだ。
全く役に立たない、得られる結果が最初から無用のものだと分かっているような、それでいて何故だか人に興奮をもたらすようなものを「遊び」というのだ。
この世の中、つまらないことは多い。
ある目的のためには避けられないが、しかし苦痛だと感じるようなことというのはとても多い。
生活のために仕事をして金を稼ぐことは必要だが、満員電車がどうしてもイヤだとか。
オリンピックで金メダルを取りたいのだが、面倒くさいトレーニングなどは一切やりたくないだとか。
カイヨワのアゴーン(競争)、アレア(博打)、ミミクリー(ごっこ)、イリンクス(めまい)の4つの区分けは逆に、普通は「遊び」ではない何かを「遊び」に転化するためのとてもいい指針にならないだろうか。
オレはカイヨワさんの話を初めて読んだ時、この話が「何かを「遊び」にするための4つのアプローチ」みたいな本に読めることに気が付いたのだ。
満員電車も何かの競争として楽しんだり、誰かと賭けてみたり、ごっことして乗ったり、ジェットコースターだと思ったりしてればそう苦痛なものでもないんじゃないだろうか。
どんな場合にもこの4つのアプローチが使えそうな気がする。
パイディアとしてだけでなく、凝ってみればルドゥス的になって世界中の人が一種のゲームとして楽しめるようなかんじにまでなるかもしれない。
これはかなり役に立つ話だと思うのだがどうだろう。
2000 10/12
明日バイトの面接に行ってくる。
聞いて驚け、コンピューター関係のデスクワークの人材派遣会社の面接だ。
もうバイトというよりも派遣社員みたいなかんじ。
どうだ。
凄いだろう。
オレは一度でいいから「昨日課長がさー。」なんて言ってみたかったんだ。
明日は人生やら社会やらをからかいに行ってくるぜ。
思いっきりネコかぶって。
スーパーマンは普段新聞記者だが、スターは普段コンピュータープログラマーなんて、ちょっとしたジョークみたいじゃないか。
オレは本当はコンピューターのことなんてこれっぽっちも知らないから、面接でバレて落とされる可能性が大きいけど。
普通のサラリーマンみたいな仕事もどんなもんか一度やってみたいんだ。
どうだろう。
面接官はうまいことオレにダマされてくれるだろうか。
明日の報告を待て。
2000 10/13
わははははは。
とりあえず笑っておく。
さて。
久しぶりのスーツはかなりきつく、ここしばらくの自堕落な生活ですっかりゆるみきったオレの腹をイヤでも意識させるのだった。
近々また食事制限を始めねばならんな、と思いつつ外へ。
風の冷たさが秋の終わりを告げていた。
もうすぐオレの大好きな寒い冬が来る。
首の下に揺れるネクタイをなんだか困ったみたいにいじくりながらオレは新富町行きの地下鉄に乗っていた。
面接会場に入ると4人の面接官がやけににこやかに迎え入れてくれた。
ばかにかんじのいい人達だなと思いつつ椅子に腰掛けると面接官の一人のノートパソコンの画面が目に入った。
見慣れた画面。
ダッチワイフを抱えたハッピ姿の男の写真。
上の方に「月刊ニュースター」と書いてある。
ありゃま、オレのホームページじゃん。
「どんな格好で来るかと思っていたら意外に普通の格好でしたね。」
真ん中に座ったなんか「課長」みたいなかんじの面接官が隣の面接官に言った。
オレはマンガみたいになってフリーズして思考停止していた。
「で、どうしてここで仕事がしたいと思ったんですか。」
にこやかな課長風のセリフを聞きながらオレはせっかく用意した「お芝居」が、始まる前に終わってしまったことを知ったのだった。
その後は本当に楽しい雑談のように面接が進んだ。
面接官の人達はとてもかんじのいい人達だったが、どうなんでしょう。
オレの反社会的な部分とかもこのホームページによって完全にばれてしまったので(もしかするとこの日記も読んでいるかもしれない。)、飲み屋でちょっと話をするんなら愉快なヤツだが一緒に仕事をするとなると話は別だ、くらいに思われちゃったかもしれない。
オレが肉体労働の現場とかならよく分かるけど、普通の会社員が仕事の場でどういうかんじなのかちっとも分からないのと同じで、おそらくたぶん向こうもオレの持っているカードが上手く把握できなくて、オレのことを「うさんくさいヤツ」くらいに感じているんじゃないだろうか。
そんなことないですよ。
根はいいヤツですよ。
(もしかするとこの日記も読んでいるかもしれないので、呼びかけたりなんかしたりして。)
しかしあれだ。
メールの下のトコにホームページのアドレスが付いてることを忘れるなんてオレはなんておっちょこちょいなんだろう。
ネコをかぶるつもりだったんだがな。
なんだかとても照れくさい面接だった。
明日はラジオ。
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