徒然またよし日記・11月前半
なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
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こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2000 11/6
いやー。
参ったね。
実に。
電話料金を払えなくて電話を止められていたよ。
みんなごぶさただね。
1週間以上日記にすき間が出来てしまってかなしいよ。
またこれからばりばり書くのでよろしく。
「プロフェッショナル」
オレくらいの見た目(初対面だと33歳くらいに見えるらしい)をしていると、 音楽をやっていると言った場合、「プロですか?」などと聞かれることがよくある。
一応その場合は、その人はきっと「それを職業として、それ専門に生活を立てていること」をプロだと言っているのだろうから、「いや、アマチュアです」と答えている。
しかしなんか釈然としない。
「プロ意識」ということで言えば、そこいらへんの職業ミュージシャンなんか泣いて松明を掲げリンボーダンスを踊りながら「私が間違っていました」と叫んで火だるまになるくらい、オレの方が「プロ意識」が徹底しているような気がする。
オレは確定申告にも職業はスターで申告しているし、「約束」という側面から見れば、常にスターらしく振る舞い、自分にも他人にもウソをつかずに生きている。
それこそ命がけでだ。
オレの様な者こそ「プロ」と言われてしかめべきじゃないのか、ええ、どうなんだやす子、何とか言ったらどうなんだ、父さんは結婚なんて認めないからな、そんなどこの馬の骨だか知らないような奴なんか父さん絶対に認めないからな、どうしても結婚すると言うのならもうおまえは家の娘なんかじゃない、勘当だ、出ていけ。
ふーふーふー(息切れ)。
たまたまそれで生活が成り立つという偶然に出会った者だけがプロというのでは、なんか納得がいかない。
逆に父さんの方こそこっちから勘当したいくらいである。
よく分からんが、なんか勢い的にそういうかんじである。
世の多くの人の頭の中では「才能がある=生活に困らない」みたいな単純な図式があるようだが、そんなこたあございません。
逆に、
「才能がある=とても生活が厳しい」
という図式こそが正しい。
もっと言えば「金が儲かった=才能が枯渇した」くらい言ってもいいかもしれない。
これはまったくもう真理だと思いますね、わたくしとしては。
だって別なんだもん。
前にエッセイで似たことを書いたけれど、いい仕事をすることと、それを金に替えることは全く違った別な作業なのであって、決してイコールで結ばれるような関係ではないのだ。
幸運な出会いに恵まれた者は(例えば作家と出版社と読者みたいにお互いがお互いの利害の中で関係しあってお金のやり取りが生じて)上手く儲けることができるかもしれないが、そんな奴はとても少ないし、またそれが長続きするとも限らないし、第一そんな奴に限って才能のかけらもなくのっぺらぼうのどこにでもありそうな作品を垂れ流しにするのだ。
あんなうんこたれは死ねばいいと思う。
というのはちょっとしたプラックユーモアであって読者のみなさんには「エスプリ」として捉えて欲しいのだが、まあでも本当に「作家としての誇り」というものを守ることは「商品化」というものとしばしば対立してしまうものだと思う。
で。
結局何が言いたいのかと言うと、オレにプロかどうかを訊ねる人はきっとオレの「凄さ」みたいなものをそういうもんでどうにか推し量ろうとしているのだと思うのだが、そんなもんは何のものさしにもなりませんよと言いたいのである。
世の中には「とてもプロ意識を持ったアマ」とか「アマチュア以下のプロ」とか「プロ意識のかけらもないアマ」とか「プロの中のプロ」とか「プロの中のプロなんだけどほとんどアマ同然」とかいろんな場合があるんだし。
そもそも「プロですか」なんて年収はいくらか聞くのと大差ない、失敬で無神経な質問だと思うのだがどうだろう。
オレとしては個人的に「自分自身と世間の両方に対してした約束(宣言)を守れるか、否か」がプロとアマの境界線なのだと思っている。
要するに覚悟の問題だ。
だからオレの中ではオレは完全にプロなのだけど、それは言葉に対する少し特殊な定義だろう。
世の中では「プロ」という言葉にもっと違ったイメージを持っているのだと思う。
オレが「オレはプロだ」なんて言ったらきっとみんな勘違いするんだろうなあ、いろんな意味で。
2000 11/7
近年タバコを吸う人、愛煙家は徐々に苦しい立場に追いやられている。
様々な企業においても、会社内では禁煙であるとか、喫煙者は出世できないとか、そればかりか禁煙できなければ減給なり免職等の措置がとられたりであるとか、そういう理不尽な、一種の迫害にあったりしているような風潮が見受けられる。
この間テレビを見ていると「そんなに私が悪いのか」という番組がやっており、その番組の中でその愛煙家の苦しい状況をなんとか擁護しようと、様々なデータを示し、愛煙家とそれを攻撃する人との間で色々な議論を繰り広げさせて、昨今のややもすると社会からタバコを抹殺しようとしているような状況を批判的に取り上げていた。
その番組自体、なんだかどことなく腹の立つ番組であり、オレ個人としては司会の古館一郎(こんな字だっけ?)に多少の文句をつけたかったり、その制作スタッフに説教したかったり、いろんな気持ちがあるのだが、とりあえずそのタバコがらみの話に関してとても言いたいことがあったので、ここでちょいと喋らせて貰いたい。
ゲストのコメンテーター達(ピーコ、和田勉、等)は「タバコはまあ何といってもガンの原因なので、人に迷惑をかけることは良くないが、嫌煙家の人権を認めるのなら愛煙家の人権も認めて欲しい。とりあえず飛行機会社は全席喫煙席というスモーキンプレーンを飛ばせ。」というような内容のことを言っていた。
それに関しては別段言いたいことはない。
あっそうってなもんである。
実際そういう飛行機が飛べばいつかオレが飛行機に乗る際、タバコが吸えないということで困ることはなくなるだろう。
ただ和田勉をはじめとする愛煙家代表のタバコ擁護論はとても感情的な話になっており、「タバコを吸う奴こさ長生きできる」とか「タバコはいい匂いなので臭いと言う奴が間違っている」とか言ってちっともタバコの文化的な側面や、嫌煙運動の政治的な(ある種いやらしい)側面、「タバコ=肺ガン説の疫学的データの統計における論拠の不足」又「タバコ=肺ガン説の生理学的な批判」等に触れずにいたのでオレはその番組を見ていて歯がゆくって歯がゆくってテレビの前でいらいらしてぐじぐじしていたのである。
あいつらに愛煙家擁護の代表で論陣を張らせておいたら駄目だ。
だからと言ってオレは代表になるつもりはないし、第一誰もオレを代表にしたいなんて思わないだろうが、オレも愛煙家の一人として多少のデータの補足くらいはしてもいいだろう。
まずオレが言いたいのはインディアンの話だ。
タバコの起源はインディアンにあるということ。
そして元々タバコは一種のメディテーション(瞑想)や祈りや神話的儀式に使った、とても神聖なある種(音楽や香とほとんど同じ様な意味あいで)のドラッグであったということだ。
コロンブスが新大陸を発見(発見というのもとても失礼な言いぐさだが。)するまで、喫煙文化はアメリカ
大陸の先住民(この言葉もやだね。なんとなく。)にしか存在しなかった。
世界はタバコを知らなかったのだ。
あっ、眠くなってきたからつづきは明日ね。
突然だけど。
2000 11/8
昨日のつづき。
もちろんオレの知らない地方で新大陸発見以前から喫煙の習慣があった、ということも有り得ないではないのではっきりとしたことは言えないが、タバコの起源がインディアンにあるというのはほぼ間違いない(と思う)。
タバコは新大陸を訪れた船乗り達によってヨーロッパに持ち帰られ、それから世界に広まっていった。
今もアメリカに(たぶん)生きている伝説的なメディスンマンにローリングサンダーという人がいる。
メディスンマンというのはインディアンの社会の中で医者であり、呪術師であり、神官であるような人物のことを言う。
オレはホームレスをやっていた頃、そのローリングサンダーに会ったことがあるというある日本人のヒッピーと酒を飲んだことがある。
ローリングサンダーは幽体離脱でもって世界中のあらゆる場所に行けたり、カミナリを操って悪人をやっつけたり、現代医学が見放した病気を薬草と森の精霊の力を借りて治したりする、どっかの新興宗教の教祖みたいなとても面白い人なので、世界中から病気を治してもらいにとか教えをこいに訊ねてくる人がたくさんいるらしい。
その日本人ヒッピーは自分の精神的なあれがなんとかかんとかで直感がどーにかして霊的な波動がなんとかのチャンネルがなんちゃらだったらしく、ローリングサンダーとはかなり仲良くなったと言っていた。
ガンが治るとかいう類の話は巷に溢れるうさんくさいオカルト話(でもオレはその手の話が大好きなので、そこいらへんのオカルト好きなんかよりはるかに詳しい自信がある。ちなみに最近のヒットはクリスチャンサイエンスという振興宗教。この宗教は今アメリカでかなり問題になっているという。青山に教会がある。)と変わらないので、こういうちょっと茶化すような言い方になってしまったが、オレはローリングサンダーをイカサマ呼ばわりしたい訳じゃない。
むしろ尊敬していると言っていいくらいだ。
ローリングサンダーには伝統を守る立場にある人間特有の「重み」みたいなものがあるし、その風貌や著述にも深い精神性を感じる。
多少SFチックな所も逆にとても幻想が膨らむと言えるし、チャーミングであるとさえ思う。
そして何よりも好感が持てるのは、彼の著述のほとんどがそのうさんくさい話を含めて(ってオレはローリングサンダーの著作は一冊しか読んだことないんだけど。ごめん。)金や名誉のためでなく、インディアンの文化や伝統を守るための政府や議会との戦いの中で発言されたものだということだ。
うーんイカす。
話がちょっと横道にそれてしまったが、そのローリングサンダーに会ったというヒッピーからオレは面白い話を聞いた。
誰かがローリングサンダーのようなメディスンマンに取材なり病気の治療などを依頼する場合、その人はまずタバコを一袋おみやげとして持って来なければならないんだそうだ。
そうしないと彼等の文化基準ではとても失礼にあたるという。
いや、このたった3行の話を言いたいがためにずいぶん遠回りをしたが、インディアンの文化にはタバコがかかせないというひとつの例である。
長くなってごめん。
今日はここまで。
ほんじゃあ明日はインディアンにおける喫煙の意味について少し話して、日本文化と喫煙の話をします。
もちろんまた話が横道にそれる可能性もあるけど。
もし明日バイトで疲れて死んでいたら明後日ね。
では。
2000 11/10
つづき。
インディアンの社会においてタバコのはたしている役割はとても重い。
タバコ(とマリファナ)は聖なる草であり、神々への捧げ物として吸われ、病を癒すために吸われ、交渉の末の合意を誓約するために吸われ、ただの楽しみとしても吸われた。
ニコチンの心地いい酔いの中で見るタバコの煙は人を落ち着かせ、時にある種の意識の拡大を持たらす。
意識の拡大という言い方が分かりにくければ「あれ」を「神との出会い」と言ってもいい。
インディアンにとって(又、世界中の他の多くの文化においても)「息」は生命の本質であった。
ナバホはそれを「風」と呼び、イヌイットは「シラ」という名の空気の精霊をもっているそうだ。
喫煙はその「息」を白く美しい「煙」として視覚化してくれる。
「息」という生命の象徴が、自分そのものが、煙となって天に昇り、空気となって世界に溶け込む様を見た時、インディアン達はきっと自分達がグレートスピリットとひとつであるという感覚を得たのだろう。
タバコを吸う奴なら誰だって知っている、あの瞑想的な感覚。
たとえ宗教や文化が違っても、その口に火をくわえ煙を吐き出すという異常な行為が何らかの象徴性を持って広がっていったであろうことは容易に想像ができる。
ちょっと短いが、今日はここまで。
ほんじゃ明日。
か、明後日。
2000 11/12
なんかもうこの話すんの飽きてきちゃったな。
まあでも途中で終わるのもなんだしもうちょっと頑張ってみるよ。
今日では日本にも喫煙の習慣はひとつの文化として根付いている。
ヨーロッパでは当初タバコは薬として広まっていったらしいが(イギリスなどでは学校でタバコの時間というのがあって、小学生からみんなでばかばかパイプをふかしていたという話をどっかで聞いたことがある。
脳の湿り気を取る、とか、ぜんそくの予防だ、とか言っていたらしい。
オレはよく学校に縦笛を忘れて先生に怒られていたが、昔のイギリス人はパイプを忘れて先生に怒られたのしてたんだろうな。やっぱ。)、日本では最初から嗜好品として吸われていたようだ。
茶道のようにひとつの「道」として確立するようなことはなかったけれども、タバコもお茶も同じように「喫する」ものとして、江戸も後期に入ると庶民の間でかなり流行していたらしい。
喫煙の道具などもどんどん洗練されて、そのうち芸術としての鑑賞にも耐えるような美しいキセルやタバコ入れなども作られるようになった。
根付け(日本の昔のタバコ入れなどについているキーホルダーみたいなやつ)などは現在では海外にもファンがいて、たまにサザビーズとかでえらい高値で取引されているらしい。
ハリウッド映画界では今では映画の中にも喫煙のシーンのシーンを入れられなくなってしまったらしいが(タバコなしでハードボイルド映画が成立するのかね。ハンフリボガードも草葉の陰で泣いてるに違いない。)、このまま禁煙ブームが進んでしまったらひとつの文化が死んでしまうことになりはしないだろうか。
カリフォルニアでは最近禁煙条例ができて、バーやレストランさえも全て禁煙になったのだが、インディアン、じゃなかったネイティブアメリカンの居留区にあるカジノだけは、例外的に喫煙を認めている。
アメリカにおいて、ネイティブアメリカンであればその居留区に限ってカジノを開いてもよいという法案が通ったのは、10年くらい前だったと思う。
政府によって勝手に居留区に押し込められ、根強い差別に苦しみ、経済的にも逼迫していたネイティブアメリカンに対する「特例」だった。
アメリカ人にも彼等の土地を奪い、迫害を加えたという罪悪感が少しはあるらしく、タバコにおいても、同じように「特例」が設けられた。
ちなみに、アメリカは日本に対しては捕鯨をやめろとか言って調査捕鯨に関してさえ圧力をかけておいて、自国のイヌイットには捕鯨を認めている。
イヌイットは捕鯨が文化であり、しかもこれを禁止してしまっては彼等は他に食う物がない、という理屈らしい。
日本だって大昔から捕鯨を行っていて、立派に文化として根付いているのだが(ちなみに人形浄瑠璃の人形のからくりには昔から鯨のひげが使われている。)、日本人は他に食う物があるだろう、とか言っている。
無茶苦茶だ。
鯨が絶滅の危機に瀕したのは工業用の油を取るためアメリカが乱獲したからだ、というのが定説ですらあるというのに。
タバコに関してもアメリカは日本に対して税率を上げて喫煙率を下げろ、などと言っているらしいが、日本の愛煙家の政治家はなんで黙ってるんだろう。
オレ、アメリカ嫌い。
ふう。
明日は「タバコが肺ガンの原因である」という話に少し文句を言う予定。
2000 11/14
昨日はサトウ君とスタジオに入った後、一緒に朝まで飲んでいた。
その後そのまま眠らずにバイトに行ったのでおいらかなり疲労困憊。
疲労こんぱい。
コンパイ・セグンド。
日記のつづきは明日ね。
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