徒然またよし日記・12月
なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
ランキングが上がれば上がるほどさらにお客が増えるというかんじの雰囲気です。
オレを助けると思って登録してみて下さい。
こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2000 12/2
今日も一日ずっと新曲を練っていた。
あと少し。
もう少し。
春咲小紅(スターファンクラブ「きぬごしの会」副会長)さんがステキなチラシを作ってくれたよ。
みんなもどんどん12/15の宣伝してくれいっ。
もし、チラシ欲しい人いたらメールちょうだい。
あと、明日は夜勤なので日記の更新たぶんできないや。
ほんじゃね。
2000 12/5
「あたし、養ってもいいよ。おこずかいとかは、あんまりあげられないかもしれないけど、ごはんはちゃんと食べさせてあげれるし。」
女が言った。
「ほら、前に言ってたじゃん。バイトはイヤだって。歌だけ歌って暮らしたいって。いいよ。ここにこのまま住んじゃったら? あたしも、家に帰ってきてスターがいたら楽しいし。」
女が笑う。
「心配だよ。あなたはたぶん普通の人みたいに働かなくっていい人なんだから。」
少し真面目な顔。
「あたし、あなただったら養ってもいいよ。絶対にあなたの邪魔はしないし。」
あれは何年くらい前だったろう。
当時のオレは口癖のように「あー、働きたくねー。」と言っていた。
実際、バイトするくらいなら女のヒモの方がまだましだと思っていたっけ。
まあ、今だって思ってるんだけど。
願ってもない申し出だったのだが、オレは断って、そしてそれ以来、その女とも疎遠になってしまった。
プライドなんて言う偉そうなものを守るためにその申し出を断ったわけじゃない。
「クソにまみれたって、オレのプライドはちっとも傷つかないさ。」みたいなかんじでいたいしな。
歌さえ歌えるんなら、本当に、他はどうでもいいと、どこかでは思っている。
実際、オレはあの時嬉しかったもの。
なんだか、彼女の愛を感じたし、これで働かずにすむ、とも思った。
それでも断ったのは、彼女のことが好きだったからなんだと思う。
その頃には世間知らずなオレも、少しは学習していたんだ。
えっ、何をって?
それは自分で考えたまえ。
今度は勝手に仕送りしてくるような女と知り合いになりたいね。
とかなんとか。
2000 12/8
うーむ。
自分のホームページが見れない。
これから更新しようと思うのだけど、大丈夫かな。
できなかったりして。
順調とは言いがたいが、何とか生きている。
とにかく15日。
もうすぐだ。
2000 12/12
映画は脅迫しない。
誰も傷つけない。
誰かが勝手にびびってるだけだ。
それにしても。
バトルロワイヤルなんかより、例えば、太宰治や、芥川龍之介や、ブッダや、孔子の方がよっぽど危険なんだがな。
2000 12/16
ただいま脱力中。
昨日ライブに来てくれたみなさん、ありがとう。
オレの人生の中で、大切な節目になりました。
大成功です。
2000 12/17
15日、一昨日はライブだった。
10代のオレに強烈な影響を与えたミュージシャン、三上寛さんと初めて同じステージに立つことができた。
昨日は一日、まるでやるべきことを全て終えた老人のようにぼけっとしていた。
それでも今日は部屋の大そうじをやる予定だった。
それが午後に、もぞもぞとふとんから這い出してタバコに火を点け、テレビをめくっているうち、12チャンネル(テレビ東京)に映画を見つけてしまったのだ。
「ビッグ・ウェンズディー」。
オレの目は釘付けになってしまい、大そうじの予定などどっかに行ってしまった。
なんというシンクロニシティー。
これは何かオレに対する「号令」なのだろうか。
三上寛のメッセージが、確かにオレの胸に響いている。
話は少し前後するが、13日には寛さんの初の自伝、「怨歌(フォーク)に生きる(三上寛著・彩流社・ISBN4-88202-685-6)」の出版記念パーティーが盛大に行われた。
オレも招待されたので、数人の友人を誘い、お祝いを言いに行った。
翌翌日に二人のライブが控えていることもあり、あまり話もしなかったのだが、帰りに手渡された自伝はその翌日に全部読み切ってしまい、15日のライブも、そのおかげでいくらか覚悟を決めたものにすることができたのだった。
その自伝の中にこういう部分がある。
ちょっと長いが、すべて引用する。
「ちょうどその頃、オレは一本の映画を見た。「ビッグ・ウェンズディー」だった。借金を無心に行った先の家の婦人は大のアメリカ映画ファンで、金の話はそっちのけで映画の話になった。「あれはヤクザ映画ヨ」不意に婦人は言った。「今すぐ行ってらっしゃい」。どこにでもいるアメリカの、ベトナム帰りの若い三人のサーファーのB級映画だったが、涙が止まらなかった。
伝説の大波を待ち続ける三人の葛藤は、どれもが自分の身上と重なり、そのあまりの波長の重なり具合に、腰が抜けたような思いがした。二度三度と同じ映画館に通い、最後に子供まで生んだ同棲相手とその映画を観て、そのあと別れた。
「アメリカ」が道を示してくれた。
「青臭い楽観」がそこにはあった。
ラストシーンのホームレスのセリフが「無謀なんかじゃない。挑戦なんだ。」だった。劇中最高のセリフを、ホームレスに言わせていることに驚き、アメリカの奥の深さを見た。
アメリカのフォークソングに出会い憧れ、そのことで傷ついて、つまずき倒れた者が、アメリカのサーファーたちによって救われたのだった。
どうということもないアメリカのただのビーチボーイと、どうということもないニッポンの東北の浜育ちが、時空を越えて分かりあえたのは、全編を流れる音楽の意味だったのかもしれない。
オレは身辺を整理する事にした。
新しく生活を始め直そうと思った。
何の保証も何の予測もたたなかったが「これは挑戦なのだ」と言い聞かせた。
オレが乗るべき大波はあるのか。
そしてその大波が、果たしてやってくるものなのか。映画「ビッグ・ウェンズディー」もまた、オレに一つの「号令」を下したのだった。」
今日、オレもまた「ビッグ・ウェンズディー」を見たのだ。
オレは確かに寛さんから何かを学んでいる。
確かに寛さんはオレに何かを伝えようとしている。
こんな偶然が信じられるかい。
オレは歌い続けなきゃなんないようだ。
「それ」が神か悪魔か、それとも単なる偶然か、オレには分からないけれど、「それ」は確かにオレに「歌え」と言っている。
これからもしばらくはこの世界の空気を、オレの喉で振るわせることを許してほしい。
その振動は、誰かにとっては迷惑かもしれないが、たくさんの偶然が、運命が、オレにそうしろと言っているんだ。
2000 12/18
まだ情緒が不安定だ。
いろいろと混乱している。
明日こそ掃除しなきゃ。
2000 12/19
やっと掃除した。
明日からはお歳暮を売るバイトなのだった。
なんとか生活を立て直さなきゃいかん。
2000 12/20
「まるでケンカに負けてきた猫みたいね。」
女が言ったので、
「何が。」
と聞いたら、
「その髪型よ。」
と女。
うふふふふ。
そうだろ、かっこいいだろ。
そこで詩。
「女はさも」
女はさも
あきれたふうに笑ってはいたが
オレは
知ってるんだぜ
女という生き物は
そうやっていつもオレに恋をしていくんだ
2000 12/20
幸運というのは相対的なものだ。
宝くじに当たるのはたしかにラッキーかもしれないが、それを幸福と呼ぶのは少し気がひける。
幸運というのは相対的なものだ。
みんながひどい目にあってる時、一人だけ助かるのはたしかにラッキーかもしれないが、オレはとても友達想いのいい奴だから(自分で言うな)、きっとそれを不幸と呼ぶだろう。
幸運というのは相対的なものだ。
幸運というのは、幸福とは違う。
5年前には「オレはいつだって幸せの中にいるんだ」と誰に言っても信じてはもらえなかったが、今ではたくさんの人がこのオレの言葉を信じてくれている。
辛い夜もあるし、恐ろしい夢だって見るし、混乱して泣いたことだって一回や二回じゃないけれど、オレはいつだってハッピーなんだ。
まるで何も感じない物体みたいに、そこいらへんの石ころみたいに、オレの中にはいつだって安楽がある。
本当だぜ。
負け惜しみじゃなく。
ギャンブルだってほとんど勝ったことがないし、いつもはずれくじばかり引いているような気もするけれど、オレの幸せは6年前のあの日から、いささかも揺らぐことがない。
「オレはいつだって幸せなんだぜ。」というと、みんなあきれたみたいに笑ってくれる。
オレにとってせめてラッキーだったのは、そうやって笑ってくれる人間に出会えたってことなんだと思う。
相対的だけど。
2000 12/22
「困る必要がある」なんて、困ったことだ。
オレはわざと苦しんでる。
けれど、
わざとじゃない。
2000 12/24
あと5分ほどでクリスマスに突入する。
おめでとう。
何だか良く分からないが、めでたいので喜ぶことにする。
やったー。
うれしい。
ごちそうを食べよう。
チキンとか、チキンとか。
あと、
チキンとか。
2000 12/25
メリー・クリスマス。
みなさん祝いましたか。
ごちそうを食いましたか。
自分が嬉しいか、嬉しくないか、というのは大した問題ではありません。
どうせたいがいの人は大して嬉しくもないでしょう。
12/1と12/25では単に日付が違うだけなのですから。
けれどみなさん。
祝福と喜びを同列に考えてはいけません。
今日は「嬉しい日」でも「祝うべき日」でもありませんが、今日が「祝ってもいい日」だというのはどうやら間違いがないのです。
これは「信仰」の問題ではありません。
そんなのどうだっていいのです。
歌いましょう。
そしてごちそうを食べましょう。
親しい人にプレゼントして無理矢理にでも喜んでもらいましょう。
祭りに出遅れるような奴はトンマというんです。
ずっと笑顔でいたってちっともかっこわるくない、とても貴重な日なのですよ、今日は。
くさっていたら損じゃありませんか。
オレなんかチキンを食いましたからね。
スパークリングワインも飲んじゃいましたからね。
あまりダンディーとは言えないかんじで、クリスマスソングとかも口ずさんじゃいました。
いいのです今日は。
サンタのじいさんもあんな真っ赤な恥ずかしい服着て頑張っているのです。
こっちがシラーっとしていたら、かわいそうじゃありませんか。
2000 12/26
考えを深めるというのは、あるひとつのアイディアを自らどんどん疑っていくということなのだと思う。
自ら反論していって、自問していって、そうして初めて、主題を掘り下げていったり、論拠を明確にしたりするということが可能になるのだと思う。
例外はないかとか、飛躍はないかとか、ちゃんとスジが通っているかとか、そうやって自分の内面や現実の世界と「考え」とを照らし合わせて疑っていく中にこそ「考える」ということの本質があるんじゃないだろうか。
「考える」というのは「疑う」ことなのだと思う。
さて。
世間でよく「自分を見つめる」なんて言葉を耳にする。
宗教やら哲学やら文学やらの入門書的な本にはほとんどといっていいほどこの「自分を見つめる」という言葉がどこかしらに入っている。
オレは別にヒトラーのことが好きな訳じゃないのだが、ヒトラーの「我が闘争」の中で「全くその通りだな」と思った言葉がいくつかあった。
今手元に本がないのでうろ覚えで申し訳ないが、ヒトラーはこんなことを言っていた。
「苦労をした人間というのは優しいとみんなは考えるようだが、これは実際全く逆なのだ。苦労した人間ほど他人に同じような苦労を強要したがる。「オレはもっと頑張った」だの、「オレの時はそんなものじゃなかった」だの。」
ヒトラーの口からこんなセリフが出たとなると、逆になんだか恐ろしいような気もするが(実際このセリフは文脈としては、誰かへの攻撃の意味で使われていたように思う)、まあそのことには深く触れまい。
しかしこのセリフ自体にはある種の真理があると思うのだが、どうだろう。
宗教やら哲学やら文学やらの入門書的な本に「自分を見つめる」なんて言葉を書いた人の中にも、これと同じような「オレはもっと頑張った」「オレの時はそんなものじゃなかった」的な心理があるような気がする。
自分なんて見つめなくていいのだ。
わざわざ哲学者になる必要もあるまいに。
「自分を見つめる」というのは怖ろしいことだ。
「自分を見つめる」というのは、「自分」を「考える」ことであり、疑うことだからだ。
気持ちは分かるが、それを強要するのはいかん。
確かに、「切実」のない所に「感動」はないだろう。
確かに、人間の発明品はすべて「困る」ところから生まているだろう。
標準を大きく上回ってきちんと真面目に「困った」人こそが世に言う「天才」なのだろう。
しかしだからと言ってわざわざ皆が「困る」必要などどこにもないのだ。
自分を疑うのは辛い。
「自分を見つめる」というのは常に「卑屈さ」を持ち続け、自分の弱い部分を突き続け、畏れ、苦しみ、自己を否定し続けるということと同じことなのだ。(ここすごく重要。)
そうしてやっとこ人は初めて「普遍」の一端をかいま見ることができる。
「自分を見つめる」ことにゴールはないのだと思う。
「答」が必ず新たな「問い」を生むのなら、そもそも「問い」なんてない方がいいに決まってる。
「自分を見つめろ」なんてのは今現在はもうすでに見つめていない奴にしか言えないセリフだ。
おっさんが昔の苦労を自慢しているだけだ。
見つけた気分に浸って探すのを止めた奴にしか、「自分を見つめろ」なんて言葉は言えないはずだ。
あのしんどさならオレも少しは知っている。
オレなら、元気のなさそうな奴には、何も考えずにすむようにしてやりたい。
少なくとも「自分を見つめろ」なんて言葉は言えやしない。
特に、それが信頼する相手なら、なおさらのことだ。
時には「なれあい」でしか、信頼を表すことができない場合だってある。
(以上、「二人で逃げるのさ」という歌を作っていた時についでに書いた小エッセイでした。ちなみに、その時にはこういう詩も書きました。)
2000 12/27
いい文章というのがどんな文章かは知らない。
昔は名文というのがあって、子供達はそれを見本に作文を書かされたらしい。
今では文というのは中身なのだというような風潮なので、何を見本にしていいのかわからない。
教師も決して見本を与えない。
「何でもいいのですよ。心に思い浮かんだことを書くんですよ。」
などと教師は言うが、そんな無茶苦茶を言われては子供も困るのである。
どうやって心を書き表せばいいのか、そこんとこが問題なのだ。
絵画などではちゃんと「デッサン」というのがあって、お手本があり、基本というのがしっかりある。
基本をやっていれば、そのうちに描くということのコツのようなものが身に付く。
それが身に付いて初めて、その延長に「自由」というのが見えてくる。
もちろん自由が見えればいいというのもでもない。
本当に大切なのはその後だ。
上手いだけのギタリストはたくさんいるが、本当に自分の出したい音、自分の伝えたいメッセージを持っている奴は少ない。
お手本通りに弾けたからって何がどうということもない。
そこから先にはひたすら自分と向き合うという、気の遠くなるような大変な仕事が待っているのだ。
表現という仕事の最も楽しく、最も辛い作業が。
しかし最初っから何でもいいから書け、では本当に困るだろう。
例えは悪いかもしれないが、それはいきなり子供にギターを渡して「好きなように弾きなさい。」と言っているようなものだと思う。
コードの押さえ方も知らなければ、チューニングの仕方も知らないのに、ギターなんぞ弾けるわけがない。
それで子供が困り、仕方なしにポコポコ叩いて打楽器みたいに使うのを、教師どもは「独創性がある。」などと言ったりしている。
「心に思い浮かんだことを書けばよい。」というのが、オレにはなんだかそんなかんじに見えるのだ。
真似して書いていればそのうちコツが飲み込めてくる。
そうすれば文の中にその人の人となりが自然と現れるようになる。
そうなって初めて「文を磨くとは人間を磨くこと」というような具合になるのだ。
人はまず「自分」というものがあって、それを見つめることによって文章なり、音楽なり、絵画なりができてきたと考えるようだが、それは違う。
たしかに「自分」はあったのかもしれないが、文章が、音楽が、絵画がなかったら決して「自分」という存在自体、認識することなどできなかっただろう。
全てのものごとは「見方」の裡(うち)にしかない。
作文が「自分」を作るのだ。
「見方」によって初めて、規定することができる。
世の中にはどうも「マネ」というのが嫌いな人が多いようだ。
どうにも何か勘違いしてるのじゃないだろうか。
この世界に真の意味での独創などというのは存在しない。
いや、独創を云々する自体無意味なことだ。
つまらんものはマネだからつまらんのではない。
おそらくマネすらできていないからつまらんのだ。
いや、選んだお手本がそもそも悪かったという可能性もあるが。
インターネットのおかげで、作文が上手くなりたいという人が増えているようだ。
そういう人はどんどん真似するといい。
内容なんかどうでもいい。
要はスタイルを飲み込みさえすればいいのだ。
オレ自身、あんまり偉そうに言えるほど作文が得意なわけじゃないが、これは覚えとくといい。
スタイルがあるからアイディアが思い浮かぶのであって、その逆はない。
2000 12/28
そういえばしばらく公園に行っていない。
ぼけっとベンチに座って、タバコをふかして、風にあたりながら冬の空でも眺めていたいな。
さみしさというのはどこかなつかしい。
静けさはやさしい。
何も考えずに座っていることは実は以外に難しいものだが、いつの間にかオレは慣れてしまったようだ。
あんなに一人がイヤだったのに、いつごろからオレはこんなふうになってしまったんだろう。
まるでかっこいい大人みたいだ。
2000 12/29
びっくりした。
かぼちゃが旨い。
かぼちゃの煮物が嫌いで嫌いでしょうがなかったのに、今日久しぶりに食ったら旨かったのだ。
びっくりした。
人の味覚というものはこうやって変わっていくものなのだなあ。
なんだか感慨深いものがある。
オレの肉体も確実にじりじり老いに近づいているのだ。
かぼちゃの煮物が好きだなんてなんだかじじむさいじゃないか。
2000 12/30
オオ、ブレネリ
おおブレネリあなたの おうちはどこ
わたしのおうちはスイッツランドよ
きれいな湖水のほとりなのよ
#ヤッホーホートゥラララ
おおブレネリあなたは、何を見てる
夏には粉ひく水車小屋の
ほとりに咲いた白い花よ
#ヤッホーホートゥラララ
おおブレネリあなたと語りましょう
静かな湖水に船を浮かべ
楽しい未来を語りましょう
#ヤッホーホートゥラララ。。。。
という歌があります。
友人の藤沢君(ミュージシャン)がこれを沖縄語で歌ってみたいと言って、オレに翻訳を頼んできました。
「ああ、でも同じ沖縄出身でも、スターは方言とかは分かんないか。」
藤沢君は不安そうでした。
これは意外に知られてないことですが、オレは沖縄の歴史や文化に関して、めちゃめちゃ詳しいのです。
そこいらへんの沖縄人なんかよりはるかに。
ただそれがオレにとって深く自我と関わることなので、うかつなことは言えないとあまり喋らないようにしているだけなのです。
けれどこのままだと「沖縄を知らない沖縄人」みたいに思われそうなので、オレの方言関係の知識を少しひけらかしといてやるかと、翻訳を引き受けました。
オレは決して「沖縄を知らない沖縄人」ではありません。
オレはどちらかというと「沖縄を知りすぎた沖縄人」なのです。
・・・・・。
まあいいや。
方言の響きというのはとても面白いので、この日記にも載せることにしました。
以下が「おお、ブレネリ沖縄方言版」です。
いぇー、ブレネリ
いぇーブレネリ、いったーやーまーかいがー
わんぬやーやスイッツランドにあいびん
ちゅらさんみずうみぬすばるやる
#ヤッホーホートゥラララ
いぇーブレネリ、やーやぬーみーちょーがー
なちぇーくなひくすいしゃぐやぬ
すばんかいさちょーる白い花ぐぁ
#ヤッホーホートゥラララ
いぇーブレネリ、たげーにうちかたらな
ちゅらさんみずうみんかいふにうかびてぃ
みるくゆーたげーにうちかたらな
#ヤッホーホートゥラララ
今年もあと一日。
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