徒然またよし日記・2月
なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
ランキングが上がれば上がるほどさらにお客が増えるというかんじの雰囲気です。
オレを助けると思って登録してみて下さい。
こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2000 2/29
4年に一度の2月29日だ。
だからと言って特に何の感慨もないけど。
今日地下道を歩いていたら遠くからアルトサックスの切ない響きが聞こえてきた。
澄んだ切ない音色だった。
どうしてこんなとこに。
すぐ隣に地下鉄の改札口だ。
普通、ストリートミュージシャンは路上で歌う。
あれは地下街とかでやると廻りの店とか駅員に怒られるからだ。
オレもホームレスをやっていた頃、駅の構内で歌っていて何度か警察を呼ばれて面倒くさい思いをした。
あっ、そうか、これを読んでる人の中には「オレもホームレスをやっていた頃」なんて言われても何のことやら分からない人もいるんだろうな。
ぜんぜん詳しく書いてはいないけど詳しくはここを読むといい。
さて。
しかもその時に聞こえたのはアルトサックスの音色なのだ。
あれはクソやかましい音が出る。
実際かなりのボリュームだ。
音には臨場感があったし、かなり前衛的な曲だったのでどっかの店がかけている有線放送やCDではなさそうだ。
オレはきょろきょろ辺りを見渡した。
きっと歩きながら吹いているに違いない。
どんないかしたヤツなのか面を拝んどくことにしよう。
かなりの長い時間オレはサックスマンを探したように思うが、実際は10秒くらいだったかもしれない。
サックスマンはオレのすぐ隣にいた。
すぐ隣でいかした口笛を吹いていた。
オレのことなんかまるで眼中にない様子でサックスマンは黙々とその扉を閉じようとしていた。
サックスマンは人間ではなかったのだ。
それはパン屋のシャッターの閉まる音だった。
2000 2/28
ワシやっぱしあかんわ。
また今日も飲んでもた。
今日一緒に飲んだのは軍需産業に従事しているあるおっさんや。
ワシ今日は寝不足でバイトしたし絶対早い時間に帰るつもりやったんや。
ところが新青梅街道の地下が弾道計測の軍需施設になってある話とか聞いとったら夢中になってしもたんや。
そのおっさんは住友重工の重役や。
ワシ眠い。
昨日と一緒や。
日記に書きたいようなええかんじの話題もあったんや。
でもあかん。
この日記を頻繁にチェックしてる人には悪いけど今日もこんなかんじの、いいかげんな日記で終わらしてもらう。
もう朝や。
これから仕事や。
おやすみ。
2000 2/27
ついこの間まで満月だった月はいつの間にか三日月になっていた。
オレは久しぶりの、けれどもそれでいて住み慣れた東京の街を口笛を吹きながら歩いた。
おっさんのセリフが頭の中を回っていた。
「兄ちゃん、いい仕事見してもうたわ。」
ああそうや。
オレはどこにいっても天才なんや。
オレのトークを聞け、女よ。
オレの歌を聞け、若人よ。
もし、君がオレを天才じゃないと言うのなら、それは君が自分の頭やセンスの悪さをオレにひけらかすということだ。
神戸以来いきなり最近、バーで飲むのが好きや。
アホみたいにうるさいクラブではあかん。
オレのトークでかわいくてお洒落な女をいってまうんが好きなんや。
静かなバーがいい。
神戸での出来事はいずれ時間がまとまった時にエッセイとしてまとめることにした。
何にせよ今日はもう夜も遅い。
一応日記を更新しとくがもう寝る。
オレは最近アル中みたいになってぐだぐだしているんだ。
小さい小人の乗った古くて錆びたシーソーみたいにオレの目の前でちっこいやつがきぃきぃゆれている。
ブルースみたいな気分でかっこつけてるオレ(オレみたいなんはアル中がお似合いなんや)と、健全で性欲あふれるスターのオレとが。
ああ、なんかもうワケわからん。
オレは今酔っ払ってる。
相変わらずつい今さっきもてて帰ってきたとこや。
もう寝る。
またな。
文章をちゃんとまとめるのは時間がかかるんや。
メールの返事も明日書く。
2000 2/18
今日は寒い。
ここんとこで一番寒い。
ついさっき運動場を歩いてきた。
月がとてもきれいだった。
その時に考えた詩
さあ星たちよ
オレに3回願いをかけろ
寒い外ではふはふ火傷しそうになりながら食うたこやきはうまい。
青のりもマヨネーズも満タンね、おいちゃん。
オレは一人でたこやきを食った。
空にかざすと、たこやきと今日の月はよく似ていた。
冬の夜、息が白いと楽しい。
オレが少年時代を過ごした沖縄では、冬、息が白くなるほど寒くなることは少ない。
真冬のしかも朝方の限られた時間、時に自分の息が湯気のように白くなっているのに気がつく。
そういう場合沖縄の子供達は誰でも皆嬉しそうに鼻先の中空を見つめながら、「ほー」と、そっと息を吐きながら歩く。
オレはその頃のクセが未だに残っていて、「ほー」となるべくその湯気の白が濃くなるようになるべくそっと息を吐きながら、白が風にかき消されて夜の闇に溶け込んでいくのを今日も楽しく眺めていた。
少し寄り目の変な顔で、ほーほー言いながら、鼻先の白を。
明後日関西方面に旅行に行く。
明日、この日記を更新できたらするが、たぶんしないと思う。
だから今日から一週間と少しの間日記はお休み。
それではおやすみ。
2000 2/17
新・穴Bニュースター。
日記猿人からとんでくるとオレのページの題名が変わっていた。
文字バケである。
オレは文字バケというのはそのページのデータみたいのと、自分の使っているブラウザとの相性で起こると思っていたのだが、そうでもないらしい。
自分のホームページなのに文字バケされると何か裏切られたみたいでかなしい。
まあ、「穴B」という言葉の響きにもそれはそれでおもむきがあるが、ダイレクトすぎていけない。
「穴B」。
日記猿人からとんできてこれを読んでいる人、やっぱ文字バケしてます?
誰かいたら掲示板に書いてオレに教えてくれませんか。
もしかすると「日記猿人からオレのサイト」というのの相性が悪いのかもしれない。
っていうかそもそも文字バケって何なんだろう。
文字バケーション?
2000 2/16
今日はバイトが休みだったので、渋谷までブエナビスタ・ソシアルクラブを見に行った。
ブエナビスタ・ソシアルクラブは、ライ・クーダーが監督をやってヴィム・ヴェンダースがプロデュースしたというキューバ音楽版の許されざるブルースブラザーズというかんじの映画だ。
「許されざるブルースブラザーズ」というのは「許されざる者」と「ブルースブラザーズ」のあわさったかんじを文学的に表した、オレのスター的比喩である。
なかなかにいい映画だった。
キューバの小汚い街並みはオレの故郷の沖縄みたいに懐かしく美しかったし、老人達はみんなキューバ葉巻を美味そうにふかしながら自分の生い立ちや、音楽について語るのだ。
その姿は何か音楽そのものというか、美しき快楽主義というか、まあ何というかとにかくすごくかっこよかった。タバコはああやって吸うもんだ。まあいいや。
その映画は昔のキューバ音楽の偉人達を今集めて音楽を奏でてもらう、というような話で、いわゆるひとつのドキュメンタリー映画なのだが、とっくの昔に忘れ去られたはずの80歳だとか90歳のじじいがいまだにすごい演奏をしてしまうのが大きな驚きだった。
中には「音楽では食べていけず靴磨きをやっていたんだ。15年間歌ってないよ」というじいさんとか、「関節炎にかかってしまって1980年から一昨年までピアノが弾けなかったんだ」というじいさんまでいる。
関節炎の方はもちろんジョークなのだが、オレは今まで年をとって下手になってやめていく人ばっかり見てきたので、老人になってもある一定の技術の水準を保ち続けているという事実が、努力などという安っぽいものでなくそのまま「音楽で歳をとった」というかんじに見えて、オレもいちミュージシャンとして頼もしく思った。
オレのよく行く飲み屋(特にネブラスカ)にはいつもしょーがないおっさんが集まっている。
「オレはまだロックスターになる夢を諦めちゃいないぜ。」とか、
「オレはもうダメだがまだ遅くない、若いおまえらが革命を起こすんだ。」とか、
そんなことばっかり言っている30過ぎの、下手すると50も半ばを過ぎている愛すべきろくでなしどもが酒臭い息をはきながら毎日朝までくだを巻いている。
オレはそういうろくでなしどもを心底軽蔑してみたり、熱く議論しあったり、またそこに下手をすると未来の自分かもしれないオレ自身を見て身につまされたりしながら、
「ああ、この飲み屋は最低の飲み屋だ。」
と言いながらその飲み屋に月一くらいのペースで通っている。
そこのおいちゃん達は妙に年齢にこだわる。
おい、トム・ウェイツは30歳までピザ屋の店員だったんだぜ、とか、どっかの誰それは45歳になって始めたギターで55歳になってヒットをとばしたんだぜ、とか。
それは彼等の慰めなのだ。
オレだって12歳の頃、バンドを結成して間もない頃には、
「17歳までに最高のアルバムを一枚出して、ほんですぐに死んでやるんだ。」
なんて偉そうなことを言っていた。
それが17歳を過ぎ、20歳になり、いつの間にか25歳になり、若い自分自身と交わした自殺の約束をホゴにするためにずいぶんたくさんのことを考え、ずいぶん悩み、ずいぶん無茶をして、多くの言い訳と哲学と信念をでっちあげた。
17歳までに云々と言っていた頃のオレの頭の中にいたのはシド・ヴィシャスだった。
18歳になると「何とか20歳までには」と思った。
今では「何とか26歳までには」と思っている。
この調子で27歳になったなら、きっとオレだってほぼ確実に、
「おい、トム・ウェイツは30歳までピザ屋の店員だったんだぜ。」
なんて言うに違いない。
ブエナビスタ・ソシアルクラブでじじい達は何十年かぶりのでっかい花火を上げる。
ライ・クーダーのおかげでじじい達は何十年かぶりにでかいヒットをとばす。
アルバムは98年か97年のグラミー賞を得る(ちょっと記憶が曖昧だがたぶん間違いない)。
じじい達は言うのだ。
「よう、カーネギーホールではいつ演奏できるんだい?」
昨日まで靴を磨いていたじじいが。
99年7月1日、ライ・クーダー自身それはちょっと無理だろ、と思ったカーネギーホールでのコンサートが関係者の尽力で実現する。
音楽の親愛や、楽しさや、美しさや、切なさや、冗談のつまった素晴らしい演奏である。
じじい達は本当に、それを見ただけで誰もが人生に感謝したくなるようないい笑顔で笑う。
音楽と何十年と親しみ、人々に忘れ去られながらもそれでも笑いながら音楽と共に生きてきたじじい達の人生がありありと目に浮かぶような、そんな素晴らしいコンサートだった。
もちろんきっとじじい達は誰かを勇気ずけるために音楽をやってきたワケじゃないだろう。
ただただ自分のために歌うからこそいい演奏ができるのだ。
楽しいおしゃべりをしてただけさ、なんて言うかもしれない。
けれども。
オレはこの調子でちっとも有名じゃないまま歳をとって死んでいくかもしれない。
ガキの頃は偉そうなことを言ったけれど、世界の歴史には大した足跡も残せないかも知れない。
オレは自分を心底天才だと思うし、オレ自身を尊敬しているし、オレは誰にも下駄を預けずに一人で勝手にいつまでも幸せでいる自信がある。
他人がオレの音楽をどう思うかはオレの預かり知らぬことだし、オレのどうにもならないことなんかどうなってもいい、と思う。
オレにとっては自分で自分のことを「スター」と言えるかどうかだけが問題なんであって後は知らんのだ。
けれども。
オレは例えば80歳になったオレが靴を磨きながら、
「おっさん、世の中には昨日まで靴磨いとった男が90歳になって初めてカーネギーホールでスタンディング・オベーションを受けることかてあるんやで。」
なんてなぜか関西弁で言ってる姿は容易に想像できるのだ。
ブエナビスタ・ソシアルクラブは傑作とまではいかないまでも、なかなかにいい映画だった。
きっと多くの「忘れ去られた人」に勇気や希望を与えるだろう。
あの飲み屋のろくでなしどもにだって。
じじい共は意識してなかっただろうが、それはなかなかに素敵なことなのだ。
2000 2/15
退屈みたいに
なだらかな空が
歌に広がって
オレを映してる
いつも心に退屈を
しずかに美しい退屈を
ほら
今日も
思い出みたいに
なつかしい
鼻歌の花咲く今日
2000 2/14 バレンタイン
今日はバレンタインだ。
日記は日記らしく随所に時事ネタを散りばめねば日記とは呼べまい。
だからオレは今日ここで、バレンタインについて何か語らねばならない。
それはしょうがないことである。
オレには太刀打ちできない何か大きな力によって、今日オレがここでバレンタインについて語ることはおそらく宇宙の誕生した時からばっちり決まっていたのだ。
不可避に不可避を重ねていくと必然的にオレは沖縄に生まれ、東京でホームページを作り、今日ここでバレンタインについて語ることになるのだ。きっと。
これは運命なのである。
オレの強い意志は偶然などを寄せつけない。ただ現実に不可避の刻印を押し続けるのみなのだ。
全ては避けることのできない運命なのだ。
なんちゃって。
しかしあれだ。バレンタインと言われてもあんましピンとこない。
ピンとこないが仕事は忙しくなる。
オレは今デパートでのバイトがメインなのだけれど、2月の10日あたりから14日まで、デパートの洋菓子売場はえらいことになる。
12月下旬の和菓子売場や食料品売場くらいえらいことになる。
スタジオの福留さーん。アメ横はご覧の通りものすごい人だかりでーす、くらいえらいことになる。
えらいこっちゃえらいこっちゃ。
あえらいこっちゃあえらいこっちゃ。
である。
人間が多すぎて通路を通れないのである。
5メートル先では子供が泣き叫び、母親は癇癪を起こし、老人は踏みつぶされ、内蔵が露出し、チョコは散乱し、ホームレスがそのチョコに群がり、車イスが発射され、DBC8563ドメインは25メガピクセルまでトルクを上げ、軍人は切腹し、大臣はムチでぶたれ、 根津甚八が頭からカニ雑炊を浴びても、やはり誰もが一歩も進めずその場に立ちすくみ続け、オレは虚しく、
「らっしぇっしぇー、えびせんいかっすかー、らっしぇっしぇー。」
なのである。
恋人達のロマンスもくそもないのである。
あー忙しい。
らっしぇっしぇー。
2000 2/12
今日は病院に居た。
駒澤大学の近くにある某国立病院でバイトだったのだ。
新玉川線にはあまり乗り慣れてなかったので間違えて急行に乗ってしまい遅刻しかけたが、なんとか時間通りの9時に間に合った。
土曜の朝の病院には何か不思議な静けさがあって、オレはその静けさの中をタバコを吸いながら急ぎ足で歩いた。
墓場と病院を一緒にするのはおかしいけれど、今朝のその国立病院はまるで墓場のように安楽で冷たく美しい静けさに包まれていた。
人材派遣会社のお姉さんの言うところではその日は主に「レントゲンの整理」をする、ということだった。
オレはどこか大きな会社か何かの健康診断か何かの人員整理みたいなことをやるのだろうと思っていたのだけれど、それはまさに「レントゲンの整理」そのものだった。
資料保管庫に保管されている膨大な数のレントゲン写真に、いちいちIDナンバーをふって整理していくのだ。
電話帳みたいな厚さの退院名簿から名前を頼りにIDナンバーと退院日を検索して、マジックペンでしっかりとその番号を封筒に記入する。
そして番号順に並べ替えるのだ。
20件に1件くらいの割合で「死亡退院」とか、「死亡ENT」と書かれた封筒が出てくる。
オレはその「死亡退院」の文字の上から30-2586-3とか08-0296-0とかそういう数字を赤ペンで大きく書いていく。
大会議室にズラリと並んだ机の上で19人の持った19本のマジックペンが出来損ないのロボットの鳥が本物を真似て鳴く悲しく滑稽な歌声みたいに変テコな音を立てていた。
内科の山が終わったオレは何となく精神科の山に手を伸ばした。
もうあまり「死亡」という文字を見たくなかった。
さすがに精神科には「死亡退院」という文字はないだろう、と漠然とあたりをつけたのだ。
しばらくはその単純作業を黙々と続けた。
しかししばらくして突然オレの頭にふと疑問が浮かんだ。
何故精神科にレントゲン写真が必要なのだろう。
オレは封筒の中のレントゲン写真を見てみたのだが、医学の知識もないオレには当然その写真が何を意味するのかは分からなかった。
が、オレはその写真に抑えがたい興味を覚えた。
封筒には女の子の名前が書いてあった。
さっきまでやっていた内科の場合、ほとんどの封筒は一目でそれと分かる「トメ」とか「キヨ」とか、そういう老人の名前が無愛想なカタカナで書いており、そしてその通り、名前の右下には56歳とか87歳とか書いてあった。
しかしそのとき手にとった精神科のその封筒に書かれたそれは現代の女の子の名前だった。
「アイカ」と書いてあった。
右下には16歳と書いてある。
不思議なレントゲン写真だった。
下顎から腰にかけてを真横から撮影してあるらしいその写真の中の、骨まで透けて見える16歳の少女の口元がオレには確かに笑っているように見えたのだ。
うっすらと見えるまだ発達しきっていない薄い乳房らしき白い影や、さらに白の濃い肋骨の影が美しく並ぶその上で、骨まで透けた口元が小さな笑みを静かに浮かべていた。
オレはその写真をそのまま内緒で自分の家に持って帰りたい激しい衝動に駆られた。
何故だかは分からないけれどいつまででもその写真を見ていたいと思った。
オレはその時自分のちんちんが 少しづつふくらんでいくのを感じていた。
まるで真夜中の眠気のようにゆっくりと少しづつふくらんでいくのを。
振り向いてみると窓の外は冬の陽射しが冷たく澄んだ空気に滑らかに融け込んでいて、薄明かりの向こうの青空はまるで無機的なガラス板のようだった。
ああ、今日のような日は暖かいセーターでも着て外のベンチに座っていたいな。
タバコを吸って冬の空気を眺めてそしてそのまま眠ってしまうのだ。
オレはちらりと腕時計を見やってすぐにまたマジックペンを握り直した。
2000 2/11
メールのデータが無くなる。
とても悲しい。
いろんな人から届いた思い出のメール達。
ぜんぶ消えてなくなっちまったよ。
これでアドレスが分からなくなって連絡取れない人が一気に20人くらい増えた。
テレビで「風の谷のナウシカ」をやっていた。
一応毎回見て感動して泣いてしまう自分が情けない。
ナウシカってなんか嫌だ。
宮崎駿はもっと嫌だ。
どっちもとにかく独善的だ。
はいはい、どうせおまえらがいつも正しいんだろ。
そういえば宮崎駿の女の趣味はカリオストロの頃からなんか嫌だ。
ルパンはVSクローン人間が一番面白い。
誰だ、カリオストロが一番いいなんて言ったのは。
おまえらなんかルパンファンじゃねーぞ。
カリオストロのルパンはあれはルパンじゃない。
そんなこと言ってるやつはテレビの旧ルパンシリーズを見直すべきだ。
まったくもう。
オレは宮崎駿が嫌いだ。
だから宮崎作品もやっぱ嫌いだ。
唯一、未来少年コナンだけは別として。
あれは走るし。
足の指先で踏ん張るし。
ロボも変だし。
終わりの歌も秀逸だった。
そうそう。
唯一、未来少年コナンだけは別として。
2000 2/9
昨日ライブだった。
なかなか良いライブが出来た。
新曲を4曲ほどやった。
お客さんのウケもなかなか良かったようだ。
とても気分が良い。
打ち上げでも美味しいお酒が飲めた。
開場してからライブが始まるまで表で前売り券を売っていたのだけど、途中から雪が降ってきて吹雪みたいになった。すぐに止んだけど。
やっぱ雪はいい。
沖縄から東京に出てきて初めて雪を見た時も呆然となって2時間ほど身動きがとれないくらい大いに驚いたんだけど、昨日もしばらくの間言葉を失ってしまった。
いよいよホームページが完成したっぽい。
演がFetchというFTPソフトを紹介してくれたのだけど、それをインストールしていろいろやってたらどうもちゃんとサーバに送れたっぽいのだ。
あとは掲示板とアクセスカウンターを作るだけだ。
そうそう。
どっかのサーチエンジンにも登録しなければ。
2000 2/5
ちゃんと計ったことはないのだが、オレは子供の頃から毎日水をたぶん3リットルくらい飲んでいる。
もうがぶ飲みである。
歩く時にはほとんど常にお腹がチャプンチャプン言っている。
オレの下腹部が少しぷっくりしてるのもきっとこのせいだ。
けっして運動不足のせいではない。
子供の頃は夏の暑い日とかでも今と違ってけっこう走り回って遊んだ。
汗だくになって家に帰っては冷蔵庫でキンキンに冷えた麦茶をがぶ飲みするのが大きな幸せだった。
ところが最近になって様子がかなり違ってきた。
どうも冷たい水が苦手になってきたようなのだ。
冷たい水を飲むとお腹がぐるぐるするし、胃の調子もなんかおかしくなるし、下手をすると下痢したりする。
昔、あの世界のホームラン王の王選手も、
「僕は冷たい飲み物は飲みません。内蔵が弱くなるから。」
と言っていた。
あの言葉は本当だったのだ。
最初この話を聞いた時、
「けっ。そんなワケあるかばーか。」
と思ってすっかりシカトしていたのだが、王さんあなたの言う通りでした、ごめんなさい。
最近オレはぬるい麦茶を飲んでいる。
オレは猫舌なので熱いお茶は飲めないし、冷たいのが苦手になってきたからと言ってあのがぶ飲みする幸せまでも諦めることはできない。
だからこそのぬるい麦茶なのだ。
しかしがぶ飲み五段のこのオレまでもが冷たい水が苦手になるとは思わなかった。
まるで年寄りみたいだ。
オレは朝寝坊も八段なのだが、この調子でいくともうじき朝の5時とかに起きて乾布摩擦とかしそうだ。
2000 2/4
さて。
ホスト登録も終わり、いよいよオレのURLが送られてきた。
後はFTPソフトとかいうやつでホームページのデータをサーバにいいかんじに送るだけだ。
と思っていたらこれが意外に難しくて大変困る。
インターネットをフリーウェアのFTPソフトを探して廻るのだが、Mac用のがなかなか見つからない。
やっとこさ「XferIt」というソフトを見つけたのだが、英語なのでさっぱり分からない。
他のFTPソフトを探して夜中の3時頃までネット地獄をさまよっていたのだが、結局ダメだったので兄貴の演(えん)に助けてメールを出すことにした。
これで明日か明後日くらいになれば演がいろいろとメールで教えてくれるだろう。
今日はもう寝る。
2000 2/3 節分
節分は別名を立春という。
暦の上では今日からが春なのだ。
めちゃくちゃである。
こんなに寒いのにそれでも「春だ」と言うのである。
たぶん昔の日本人が決めたんだろうが、ちょっとせっかちすぎる気がする。
春はやっぱ3月の下旬、桜がちらほら咲き始めた頃から5月の下旬くらい、というのが普通の見解だと思う。
実は意外と暦のやつには季節感というものがないのである。
太陰暦と太陽暦の切り換えの時に誰かが計算を間違えたのか、日本の気候がここ100年くらいの間に激変したのか、なんか頑固なおっさんが勝手に決めたのか、まあよくは知らないけれど今日からが春だと言われてもピンとこない。
ホームページがほぼ完成。
あとは公開してから、いじくってくつもり。
後々は掲示板も作りたい。
これでライブのお客さんが一人でも増えればいいのだが。
2000年3月前半日記
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