徒然またよし日記・4月後半






なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
ランキングが上がれば上がるほどさらにお客が増えるというかんじの雰囲気です。
オレを助けると思って登録してみて下さい。
こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。


2000 4/30

今まさに隣に母ちゃんがいる。
沖縄からはるばる東京に母ちゃんが遊びにやって来たのだ。
なんか違和感があんのよね。

昨日は新宿アシベに「ソーサナー」のライブを見に行った。
ライブが終わるとその足で三鷹に行って画廊のオープニングパーティーで3曲ほど歌った。
12時を過ぎてしまっていたので吉祥寺の藤沢卓邸で酒を飲み直してそのまま泊めてもらった。
だから日記の更新は出来なかった。

母ちゃんと酒を飲まなきゃなんないので今日もこれでおいとまする。
すまんな。


2000 4/28

パンでパンを挟んだサンドイッチなど食う気がしない。
丸いモチをおかずに四角いモチを食わなきゃならない場面など人生の中できっと訪れないだろうが、そういう場面を想像しただけで絶望的な気分にすらなる。
おかゆをごはんにぶっかけて「おかゆ丼」とか言われたらオレはきっと迷わずそいつを刺し殺すだろう。
その時たまたま手元に刃物がありさえすれば。
しかし。
しかしである。
オレはラーメンライスもお好み焼き定食も大好きなのだ。
これは矛盾である。
天ぷら定食のイモの天ぷらなら思いつく限りの侮辱を浴びせかけることができる。 あとカボチャも。
もし世の中が「炭水化物をおかずに炭水化物を食べるなど悪魔のやることだ。殺せ。悪魔には死を。奴等を見つけだして火あぶりにしてやるのだ。」というかんじになったとして、その凶悪な民衆が悪魔と人間を見分ける「踏み絵」にイモの天ぷらを持って来たとしても、少し胸は痛むがオレはイモの天ぷらなら踏みつけることができる。
しかしラーメンライスやお好み焼き定食を持って来られたらとても困る。
きっとオレはお好み焼き定食を踏みつけることが出来ないだろう。
いや、さすがに命がかかっていたら踏みつけるかな。
ちょっとウソをついていました。
ごめんなさい。
しかしラーメンライスやお好み焼き定食を踏みつけるなんてとてもとても胸が痛む。
だからそんな世の中が来ないことを切に願う。

今日は昼御飯にラーメンとライスと味噌汁と野菜炒めとミニお好み焼きを食った。(本当)

いったいどれが主食でどれがおかずだったのか、実は自分でもよくわからない。


2000 4/27

久しぶりの何の予定も入っていない休日だ。
家でごろごろしていようかとも思ったのだが、せっかくなので出かけることにした。
新宿でデパートの地下食品街を試食の鬼と化して歩いてみたり、おもちゃ売場をひやかしつつそこらへんの子供をからかってみたり、雑貨屋さんや古着屋さんでスターグッズを物色してみたり、平日は半額になるマクドナルドのハンバーガーを3個食べて胸やけに悩まされたり、なかなかに楽しい日だったのだが、それよりかもうちょっと手前、自宅を出て電車に乗り込み新宿に向かうまでの道のり、今日のメインイベントは思いがけずその短い間に起こった。
幸せなんてものは実は意外に目的地よりもずっと手前に落っこちていたりするものなのだ。

晴れていた。
風はいいかんじにオレの顔面とダンディー精神をくすぐって、眉毛を細めたオレは意味もなく一人、
「もう春も終わりだな。」
などとかっこよくつぶやいた。
不必要に肩を丸めてタバコに火を点け、「マイ・ウェイ」を口ずさみながら歩くオレはなんてかっこいいのだろう。夜だったら間違いなく酔いどれ天使といった風情だ。
行き過ぎる女達はオレに視線でラブアタックしてくるが、オレはルーシーと別れて以来もう女を愛することなどできなくなっちまったのさ、ごめんよ、と目で殺し、2本目のタバコに火を点けたあたりでようやく地下鉄、いやメトロへの薄暗い階段の前にたどり着いた。
メトロの構内は禁煙だ。
構内では常に「メカ・ドッグ」が巡回しており、タバコを吸う者には容赦なく神経牙をむき出しにして襲ってくる。
新地球(ニュー・ガイア)の多国籍政府議会はちょうど15年前、環境建築(アーコロジー)法を可決し、違反者には75日間のシリウス星開拓強制労働か、マッドラフ(狂い笑い)を科していた。
もちろんそれも下級民にのみ、だ。
オレは真空電磁灰皿「キプロス」にハイライトを詰めると緑のボタンを押し、吸いがらがそのフィルターにいたるまで全て灰になるガガっという乾いた音を聞いていた。
一度間違えてキプロスにコインを入れてみたことがあったが、後で見てみると金属が丸く結晶化した黒真珠の様なカスが出てきたっけ。
キプロスは古物商のジム爺さんから120クレジットで買ったのだ。
ジム爺さんはその2年後シリウス行きを命ぜられ、そしてそのまま帰って来なかった。

などと海外ハードボイルドSFみたいになって白目をむいて一人にやけている時、何となく駅前の本屋の前の植え込みに目がむいた。
するする。
そう、本当にするすると音がしたんじゃないかと思うほど、吸い寄せられるようにオレはクローバーの密生した一区画に近付いた。
そして震える手で「それ」を手にとり、自分の背中に鳥肌が立つのをしずかに感じていた。
それは自分の意志というよりもまるで何か目に見えない力で操られているような、不思議な感覚だった。
昔から機会があるごとに何時間も草原を探し廻っていて、それでも見つけることのできなかった「ラッキー」。
友人が古本屋で買った古本に挟まれているのを見つけたという素敵な話を聞き憧れた「ラッキー」。
人によっては何度も目にしたことがあるというのに、一度も目にしたことがないオレにはその伝説の姿態を想像することしかできなかった「ラッキー」。

四葉のクローバーが今ではオレの目の前で新聞紙に挟まれている。

今日は生まれて初めて四葉のクローバーを見つけた。
本当、
幸せ(ラッキー)なんてものは実は意外に目的地よりもずっと手前に落っこちていたりするものなのだ。
なんちゃって。


2000 4/26
いやいや、まいったねどーも。
電話止められちゃったよ。
日記の更新しようとしたらずっと「ツー、ツー、ツー。」かなんか言ってんだもの。
あわてて今朝電話料金を払ってきたよ。
だからあれね。
昨日の更新なかったのは不可抗力ね。
何が悲しいってさ、「怠けてる」と思われるのが一番悲しいね。
オレは筋金入りの怠け者だから特に「怠けてる」と思われるのが辛い。
だって怠けてないもの。
この日記に関してだけは。

ついさっき昔の日記を読み返してたんだけど、いやー、オレってやっぱり天才だわ。
2月12日の日記なんかやっぱ最高じゃないか。
何度読んでもすばらしい。

今日は実を言うと少し悲しいことがあったんだ。
これからゆっくりお酒でも飲もうかと思ってる。
またしてもあたふたと日記を終わらせるが、まあ気にするな。
「読みごたえ」で言うといまいちだからサービスでとっておきの俳句もつけてやる。

もと来た道を揺れていた赤いセーター

ほんじゃ、また明日。


2000 4/24

昨日の日記はけっこう書きこんだし、けっこう面白いと思うし、あれくらい書いとけばしばらくの間は日記に気合い入れなくても許されるだろう。
みんな、今日の日記はほとんどないぞ。
眠いからな。
昨日の日記を読め。
この下の方にあるから。

今日は午前中いい天気だったのが午後から急激に崩れて、かみなりがゴロゴロ言うくらい激しく荒れた。
分厚い雨雲に空はまるで夜みたいに暗くなって、近所の工事現場からもさっさと人がいなくなり、通行人もほとんどいなくなった。
オレは「本格派カレー弁当」を食って、タバコを吸って、赤ワインを飲みながら読書をした。
春の終わりはいつで、梅雨の始まりはいつなんだろう。


2000 4/23

休憩や休息というのは仕事や労働の後にあるのが当たり前である。
仕事始めは9時からなのだが、9時に出勤したらまず1時間の休み時間があって、本来の仕事は10時から始まる、なんていう職場はあまり聞いたことがない。
夜眠る時に「さあ、新しい一日の始まりだ。」などと思う人もきっとあまりいないだろう。
普通はぐっすり休んで、目が覚めた後に新しい一日が始まるのだ。

例えば世の中には最初にどかーんと使っといて後から借金をちびちび払い続ける、といったスタイルを貫いている人もいるにはいるが、オレはどちらかというと好きな食べ物は最後にとっておくタイプだし、借金があるとどうも心から楽しめない心の素直な友達思いのいいやつなので、やはり楽しいことは最後に残しておいて楽しくないことから先に片づけてしまいたい。
もしかすると「最初にどかーん」の人はまずゆっくり休んでそれから仕事をするのかもしれない。
夜眠る時に「さあ、新しい一日の始まりだ。」などと言って。

二人のフェラーリファンがいたとしよう。
その二人の男はフェラーリが好きで好きでたまらないのだ。
ある日片方の男はフェラーリを買うために生活を切り詰めて貯金を始める。
ところがその同じ日、もう一方の男は借金をしていきなりフェラーリを買ってしまう。
借金の男は毎日フェラーリを乗り回し、もう二度とこない青春の時をフェラーリと過ごす。
貯金の男はそれを横目に黙々と働き、地味な青春を倹約と過ごす。
時が流れて借金の男のフェラーリは廃車になってしまう。
しかし借金の男は平気である。
フェラーリと過ごした貴重な時間を思い出に今度は借金を返し始める。
かたやようやく金の貯まった貯金の男はついにフェラーリを手に入れるが、長年の厳しい労働のせいでフェラーリのようなスポーツカーの運転ができない体になっている。
年老いた貯金の男は静かにフェラーリを磨きながらそれを乗り回す自分を夢想する。

さて。
この二人。
ぱっと見だとどう見ても借金の男の方が幸せに見える。
オレがそういうふうに書いたからだ。(←ユーモアのつもりである。)
我ながらいくらなんでももう運転できない体にまではしなくてよかったかなとも思う。
まあでもしょうがない。
ごめんよ貯金の男。
そういうふうにキーボードが進んでしまったのだ。(まだユーモアのつもりである。)
しかしみんなにはよく考えてみてほしい。
どちらの男が最後まで明日を夢見ていられたかを。(←これはユーモアではない。たぶん。)
君達がどちらの男を幸せだと考えるかは自由だが、やはりオレなら迷わず貯金の男をとる。
一般ピーポーには貯金の男はちまちまして見えるかもしれないが。

で、本題。
今日は日曜日である。
(厳密に言うと今この日記を書いている時点でもう12時を過ぎてしまっているので、本当は24日の月曜日なのだが、そういう細かいことは気にするな。)
人は日曜日を週の始めだと考えている。
カレンダーでも日曜日は週の始めに書かれてある。
日曜日というのはユダヤ教で言うところの安息日、つまり休憩する日のくせに、である。
オレはこれに納得がいかない。
大いに納得がいかない。
そもそもなぜ日本人が西洋の暦の「週」という概念を受け入れたのか、そこらへんの詳しい事情は知らないが、(おそらく明治になって入ってきたのだろう。普及したのはたぶん資本主義に都合が良かったからだ。きっと。)そういうことはこっちに置いておくとしてとにかく納得がいかない。
ずっと昔、一週間は5日だったのだが(本当)、その頃初めてみんなで「これからは週でいぐべ」と決めた時、「まあ、しょっぱなからなんだけど今日はみんな昨日のお祭りで疲れているし、とりあえず休むべ。」「んだ。んだ。」となったんだろうか。
それで間違って日曜が週の頭になってしまったんだろうか。
みんなだっておかしいと思うだろう。
思わないか。
これでは夢がない。
同じ循環する7日でも気持ちの盛り上がりが違う。
モチベーションが保てない。
日曜は週の最後であるべきだ。心情的に。

それともみんなは借金を払うような残りの辛い6日間も日曜の思い出さえあれば耐えていける、とでも言うのだろうか。


2000 4/22

そういえば 最近うわさを聞かないが、あのアル中のロシアの大統領はまだ元気にしてるだろうか。

ヒゲがすごい。
オレの不精ヒゲは鋼鉄なので大根おろしが作れる。
ヒゲ剃りだと思わしといて大根、シェービングクリームだと思わしといて大根おろし、といったかんじだ。
ポルシェの塗装をはがすことだってできる。
オレにほおずりされたヤツは即出血。
ケロイド状の傷跡が一生残るだろう。
だからヒゲを剃らなきゃ君にキスもできない。

明日のK-1が楽しみだ。
特にジェロム・レ・バンナ対フランシスコ・フィリォが楽しみだ。

「日記殿堂」というページを新たに作った。
今までの日記から選りすぐって面白いやつを集めたのだ。
エッセイに入れようかとも思ったのだが、一応日記という形態を残しておきたかったので「殿堂入り」という形をとることにした。

そうそう、それから今日はかっこいいせりふを思いついた。

「あきらめる前にあきれられろ」

2000年上半期の名言ナンバーワン有力候補だ。


2000 4/21

この間からオレのホームページに「アクセス解析」という機能を加えている。
表紙の右下の方にバナーが貼ってあるので気付いた人もいるかもしれない。
これはオレのページに来た人が何人か、どこから来たか、何時頃来たか、とかそういうことがばっちり分かる機能で、この人のホームページが使っているのを発見してマネしたものだ。

今日、このページのアクセスに関する情報を見ていたら、ライコスの検索から来た人がいたので(このアクセス解析の機能では、「どこのリンクから飛んで来たか」というのが分かる。だからと言ってその訪問者自体については何も分からない。)、「どれどれ、どんなキーワードで検索してオレのホームページにたどり着いたのかな」と思って見てみると、

こんなとこだった。

見ておいで。待ってるから。


帰って来た?
オレはかなりうけたのだが、読者諸氏はどうだったろう。
もし本人がこれを読んでいたら連絡ください。


2000 4/20

オレはカレーが大好きだ。
本格派インドカレーも、洋食屋のカレーライスも、蕎麦屋のカレーライスも、全部好きだ。
「カレー味のなんとか」とかいうのもだいたい好きだ。
一度、一ヶ月くらいカレーばっかり食って事があって、そんときは体からインド人の匂いが漂っていた。
さすがに汗は黄色くなんなかったけど。
でもカレーなら一ヶ月連続でも全然飽きない。
普通の人の一生分くらい食ってると思うんだけど、全く飽きない。

青森県出身の友達がいて、
そいつの家には毎年りんごが段ボールに2箱くらい届く。
で、そいつの家に行くと必ずおみやげにりんごを持って帰らされる。
そいつはしょっちゅうりんごばっかり食っている。
そいつの言ったせりふだ。
「もし10万円やるって言われたらオレは迷わずりんごの無い世界に行くね。
 りんごは嫌いじゃないけどもう何の未練もない。一生分食った。
 1万円でもいいや。」
だって。
オレはいくら積まれてもカレーのない世界には行きたくないね。
それがきれいな女ばっかりの世界だったら別だけど。

そうそう。
読者のみんなに自宅でカレーを作る時の裏ワザを教えてあげよう。
充実野菜とか野菜生活とか、その手の野菜ジュースがあるだろう。
多少高くはつくがそれのペットボトル入り(たぶん1リットルくらい入っている)を買ってきて、水の代わりにそれでじゃがいもやらにんじんやらを煮て、そのままカレー汁にするのだ。
そうすると野菜と果物の甘みでかなりカレーがいいかんじになる。
どうだ。
伊藤家の食卓に出れそうなナイスなアイディアだろう。
本当に美味しくなるから試してみるといい。


2000 4/19

さっきうんこをしていて思い出したのだが、アメリカ人の男はうんことしっこを同時にすることが出来ないらしい。
なんでこんなことを知っているかというと昔本で読んだからだ。
1960年代にアメリカに渡った一人の日本人のヒッピーがいて、そいつはアメリカ放浪中、金がなくなると人を集めてうんことしっこを同時にするのを見せて見物料を貰っていたという。
アメリカ人にしてみたらうんこ座りだけでも脅威的だというのに、うんことしっこを同時にするところを見せられてはおひねりを投げずにはいられなかったのだろう。
大便器と小便器が別なのが当たり前の文化で育つとうんことしっこは見事に分離してしまうのだ。 なるほど考えてみると洋式便座でうんこをしつつしっこをするにはちょっとした技が必要だ。
和式と違ってあれは別々に排泄するのが正しい使い方なんだろう。
日本でも最近では生まれた時から洋式一本やりという若者も増えてきているだろうから、もしかすると国内でこのうんこしっこショーで金が稼げる日もそう遠い先の話ではないかもしれない。

しかしそういう文化による「ちょっとした条件づけ」が人間に与える影響は計り知れない。
うんことしっこが同時に出来ないというのも文化による条件づけだし、ラーメンにはチャーハン、うどんにはいなりずし、などという食い物の組み合わせも文化による条件づけだ。
人間誰しも赤ん坊の頃はうんこもしっこも垂れ流しだったのが、いつの間にかそれも成長するにつれおよそ不可能になる。
嘘だと思うなら自分の持っている一番高い服を着たままでしっこをしようと試みてみるといい。
どんなに努力しても出来ないはずだ。
仮にもしできたとしてもオレにクリーニング代をを請求しないように。

ウガンダのある地方ではほとんどの人がバナナしか食べない。
そこには豊かな森があっていろいろな鳥や昆虫や動物がいるというのに、ほとんどの人がバナナだけで生きていてなかば栄養失調になっている。
「なんで他のモノを食わないんだ。」
と言ったら土地の人はこうこたえたという。
「バナナ以外は食べ物じゃない。」

たとえばゴキブリというのは食えばうまいし、栄養的にも食品化学的にも何の問題もない。
でもだからと言って日本の病院で患者にゴキブリ料理を出したらきっと社会的な大問題になるだろう。
ワイドショーとかも大騒ぎするだろう。
日本人にとってゴキブリは食い物ではないからだ。
最も憎むべき汚らしい害虫だからだ。

他にもオレの気がついていないいろいろなことがその人自身ではなく、その文化や環境によって決定あるいは制限されているのかもしれない。
けれども少なくともオレにとってはそこらへんのところの代表選手の世間というやつが、偏狭で、保守的で、うっとおしい、思索の足りないアホのヒステリーにしか見えない。
世の中にはメシの食い方や、服装や、サイフの中身や、職業や学歴が人間の価値を決めると本当に本気で考えている人間もいるにはいるが、オレはそんなやつは軽蔑する。
オレもバイト先でとんでもないアホだと思われているが、漢字が書けないくらいのことでオレの家の本棚には赤川次郎が2、3冊くらいしかないと思われたんではちょっと困る。
オウムだろうが、革マルだろうが、右翼だろうが、創価学会だろうが、ホモだろうが、バイだろうが、エイズだろうが、パンクだろうが、サラリーマンだろうが、公務員だろうが、中卒だろうが、東大卒だろうが、フリーターだろうが、前科者だろうが、なんだろうがオレはそう大した問題ではないように思う。
「うんことしっこを同時にできるか否か」とどこが違う。
たいがいのことはキャラだとか芸なんだと考えて、面白ければおひねりを投げてやればいい。


2000 4/18

七分袖。
しちぶそで。
あれは気持ち悪いね。
半袖なのか長袖なのかどっちかにしてほしい。
ひじのちょい下の辺りなんてのはまだうぶな開発されていない部分だから、七分袖の服を着るとなんか中途半端に袖をまくったみたいな気分になって心が落ち着かない。
女の人はよく平気で七分袖の服や七分ズボンをはいているけれど、なんかかゆくなったりいらいらしたりはしないのだろうか。
へそ出しルック(死語か?)にしたって同じだ。
オレは自由な男だと自分では思っているのだが、衣服の着心地に関してはどうも保守的なところがある。
たいがいのことには笑って「オッケー」と言えるのだが、素肌にセーターを着たり、裸足でスニーカーを履いたり、七分袖や七分ズボンで一日過ごしたり、へそを出したり、というのはどうも耐えられない。
きっと風邪をひくか発狂するかしてしまう。

世間の主流はどっちなんだろう。
着心地的に七分オッケー派なのか、それとも七分いやだ派なのか。
実はずっと前から疑問に思っていたのだ。
ということで突然だがアンケートをとることにする。
これを読んでいる君、なんか気がついたら掲示板に書いといてくれるとうれしい。

ちなみにオレはチビTは平気だ。


2000 4/17

ライビョウ患者のただれた皮膚を見ても別段気持ち悪いとは思わない。
誰かが生きた蛆虫を美味そうにむさぼり食っていたとしてもまあそういうもんかもしれないなと思う。
別に何とも思わない。
あの小うるさい女達は何にとらわれているのだろう。
いったい何を恐れているのだろう。
どうしてそこから自由になれないのだろう。
あの無自覚なヒステリーがオレは恐ろしい。
他人を踏みつけて尚平然としている、
全くの理解の無さが恐ろしい。
他人を放っておくことができないということは、
時に殺人よりもたちが悪い。


2000 4/16

昨日はずっと本を読んでいた。
そして本を読みながら寝てしまった。
心地よい眠りだった。
あんなのは本当に久しぶりだ。
朝方に一度目を覚まして、日記の更新をしなければなと頭の隅で思ってはみたのだが、目覚まし時計をチェックしてふとんを被っていたらすぐにまた眠ってしまった。

この間古本屋で本をたっぷり買いだめしといたから当分は読み物がなくて困るということはないだろう。
しばらくは静かな生活を送れそうだ。

今日はまさしが来ている。
まさしはカメラマンだ。
この「オレの写真」というのもほとんどはまさしが撮った写真だ。
ビールを持って来ていたので二人でビールを飲みながら少し話をした。
まさしとはもうかなり長い付き合いだからあまり話題がない。
ほとんどの時間は二人でテレビを見ていた。

実を言うとまさしは今もこの部屋にいる。
なんでだろう。
オレはまさしを無視していても何の罪悪感も感じない。
平気でこうして日記の更新をしていられる。
まさしはまさしでいったい何を考えているのかさっぱり分からないが、ちょくちょくウチに来ては何をするでもなく(時にはオレはこいつを放ってそのまま眠ったりもするというのに)何時間か過ごして帰って行く。

今日はまだまだ帰る気はないらしい。
しかしオレはとりあえずこれを書き終わったらもうこいつのことは放っといてそのまま寝てしまうつもりだ。
まあこういう友情があってもいいだろう。






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