徒然またよし日記・5月後半の後半
なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
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こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2000 6/2
やっと連載日記が終了した。
この連載のどこかに滑り込ませようと思っていたのだが、ちょっと筋から離れすぎてしまうのでできなかった話の、大まかな、かなり大まかな内容を「補記」としてちょっと書いておく。
自分が忘れないために。
そしてこんな日記を毎日楽しみにしてくれている物好きな読者のために。
詳しい話は自分で想像してくれ。
いつか機会があったらまた詳しい話をするかもしれない。
・ニヒリズム=思春期ということ
ニヒリズムというのは思春期に似ている。
もちろん完全なイコールではないけれど。
成人する為にはどこかで「バンジージャンプ」を跳ばなければならない。
大人というのはある意味みんなバンジーを跳んでしまった罪悪感のようなものを持っている。
そこには共犯関係のような信頼関係がある。
思春期を捨ててしまった切なさを無言のうちに了解し合うような。
「ニヒルがはじけてルネッサンスがやってくる」というのは、いよいよ近代の思春期(時代のニヒリズム)が終わりに近ずいているということで、その後には近代が「大人」として自立する時代がやってくるだろう、ということだ。
その時代がどんな顔をしているのかあまり想像ができないけれどまあ「ルネッサンス」みたいになるようなイメージがオレの中にはある。
・ニヒルの世界では必要こそが悪だということ
神が死んでしまっては社会から道徳や倫理が無くなってしまう。
実際現代の日本ではそういう道徳の消滅が深刻な社会問題になっているらしい。
(オレはそんなのちっとも「問題」だとは思わないけれど)
ニーチェは「力への意志」をニヒルの世界の新たな倫理の論理的な前提にしようとした(ような気がする)。
オレは「ニヒルの世界では必要こそが悪だ」ということを言いたい。
もしかするとこれを手がかりにすれば新しい世界の新しい道徳やら倫理やら規範を作れるかもしれないと思っている。
もしそうなればデカルトの「我思うゆえに我有り」みたいに歴史に残るかもしれない。
ああオレってなんて天才なんだろう。
ニヒルの世界では必要こそが悪だ。
必要は懺悔とともに行われるべきだ。
それがたとえ「生きる」ということであっても。
メシを食う者はメシが「必要」であってはならない。
・夢を持つということはその他の全てを諦めるということだ。
これはもうそのまんま。
補記でした。
これで今度こそ終わり。
2000 6/1
連載みたいになってしまったんで今日の日記は6/1だけど「5月後半の後半日記」に収録させてもらいます。
雨に濡れてやった。
沖縄を思い出した。
おい東京人。
おまえら雨に濡れるの恐れすぎ。
昨日のつづき。
ニヒリズムは「悟り」にいたる道の一番最初の扉だ。
大人になるための扉と言い替えてもいい。
そこに立ったならもはや後戻りはできない。
そこに立ったが最後、君は「リアル」を「確信」を見つけ出さねばならない。
その「リアル」も「確信」も滝に打たれて待っていればある日突然やってくるというようなものではない。
驚きと興奮を伴って目からポロポロっとウロコが落ちるように一瞬のうちに自分の中の価値観を変えてくれる、というようなものでもない。
それは「ただの決意」と言ってもいい。
もっと言えば「決意のための決意」と言った方が近いかもしれない。
少しずつ少しずつ「決意」に向け「決意」していくのだ。
そうして初めて君は大人として「世間」に戻って来れるのだ。
そこから見える景色は最初に見た平坦な景色と何ら変わらないただの退屈な景色かも知れない。
くるっと一周廻って帰って来たからと言って世界が突然バラ色に輝くなんてことはないだろう。
しかしもはや君は最初の君ではない。
今や君は「指針」というコンパスを持った君なのだ。
これからは自由に世界を旅して廻ることができるはずだ。
そこが何の目当てもない砂漠の真ん中だったとしても。
オレは船木の敗北が特にショックだったという訳じゃない。
最初から勝敗なんか別にどうでも良かった。
オレは船木の生き様が見たかった。
引退だってしたければするがいい。
「夢をあきらめないで」なんてギャグでもなければそんな無神経なことも言いやしない。
だけれど船木よ。
オレにはどうしても知りたいことがある。
なあ船木よ。
「そこ」に答はあったのか。
いつ頃からかオレはずいぶん長いこと、ちょこちょこ君の旅を覗いては、やきもきしたり感動したりさせてもらっていたよ。
君の旅はとてもかなしくて、そしてきれいな旅だった。
もし本当に君が開き直れて楽になれたのなら、もし本当に君の旅が終わったのなら、オレは君に「おめでとう」と言いたい。
野球選手に例えるなら、君は長島茂夫になるにはちょっと無理のあるキャラクターだけれど、江川卓には向いているよ。
これからは「世間」で生きていくんだ。
船木誠勝の今後に注目したい。
おわり。
2000 5/31
引き続きつづきのつづき。
時代のニヒリズムはすでに定着しつつある。
日本などはもう思いっきり近代が完成してしまっている。
ニーチェが「神は死んだ」と言ってからもうずいぶん経つというのに一向にその勢いは止まる所を知らず、依然として神は世界中で死に続けている。
日本はニヒル先進国だ。
どこかのおっさんは顔をしかめるかもしれないがそれはもう止まらない時代の流れとなっている。
それはそう悪いことでもない。
オレとしてはこの時代のこの日本の肌触りがどこかルネッサンス前夜と言ってもいいようなポテンシャルを秘めているような気がしてならない。
ニヒルがパチンとはじけてルネッサンスがやってくる。
なかなかに面白い夢想だと思っている。
このニヒルの世界ではごく個人的な、内的な確信が必要になる。
何をすべきかどう生きるべきか誰も教えてくれないからだ。
この世界を貫くたったひとつの普遍的な真理なんてどこにもないのなら、個人にとって本当に意味を持つのはその個人の内的な論理から導き出されたごく個人的な、内的な確信だけということになるだろう。
実際すでにそういう風潮はいたるところに現れ始めている。
時代の価値観は明らかに更にニヒルな方へニヒルな方へとシフトしていっている。
例えばオレは「男一匹ガキ大将」が連載されていた頃からずっと毎週週間少年ジャンプを愛読してきたが(当時は幼稚園生だった。)、最近ではスポ根がめっきり減ってしまったし、同じ様なスポーツ物のマンガでも主人公が「自分はなぜサッカーをやるんだろうか」とか言って悩んだりしている。
主人公なのに。
そしてそれらの主人公の結論はほとんど全てが「好きだから」である。
サッカーだったら「サッカーが好きだから」。
野球だったら「野球が好きだから」。
ちょっと前までならば例えば「女にもてたいから詩人になる」なんて言った日にはものすごい非難の嵐にさらされることになっただろう。
しかし今や誰もそんなことでは非難しない。
誰もが当たり前のように「答」は自分の中にごく個人的な論理として存在するだろうことを確信している。
当然、実際にリアリティーを持って確信できるような論理はそれぞれによって異なるだろう。
それは「死にたくない」かも知れないし、「女にもてたい」かもしれないし、「サッカーが好き」かも知れない。
しかしどんな場合においても同じように言えることがひとつだけあるとすれば、それは一度ニヒルの地平を見てしまった者は、必ずどこかで「リアル」を探し始めるということだ。
とにかくまずは「リアル」を探しに行くことから始まる。
それはニヒルが「力」を指向するからだ。
ニーチェの言った「力への意志」というのもめちゃめちゃ簡単に言えばそういう話だとオレは解釈している。
ニヒルは「力」を指向する。
言い替えるとニヒルは「悟り」を指向すると言ってもいい。
とにかくまずは牛を探しに行く、といったところだ。
まだまだ続く。
明日あたりで終われそうな気がするが、もうちょっとかかるかもしれない。
だんだんエンディングに近ずいてきた。
本当に言いたかったのはほんの2〜3行くらいの話だったんだけど、ずいぶん長い前置きになってしまった。
この手の文章はいちいち考えながら書かなきゃなんないから時間がかかってしょうがないんだけど。
ではまた明日。
もう眠い。
2000 5/30
昨日のつづき。
十牛図にはいろんなバリエーションがあって、ものによってちょっとずつ違う。
が、おおまかな流れとしては全て同じである。
まず第一図で一人の男が牛を探しに出かける。
んで第二図以降でその男は牛の足跡を見つけたり姿を見つけたり格闘したりしてついに牛を我が物として、第八図で牛と男はひとつになる(第八図はただの丸だったり、空白だったりする)。
十牛図の中で「牛」というのは「悟り」の比喩として描かれていて、それがそのまま禅を修行する修行僧達の悟りに至る一連のガイドラインとなるように作られている。
禅はインドで生まれ、菩提達磨がそれを中国に伝え、道元が中国から日本に持ち帰り、白隠あたりでようやっと日本において真に完成する。
インドでも中国でも禅は早々に廃れてしまっていたから、禅に関してはその本場は日本だった。
十牛図についても全く同じことが言え、 十牛図は中国で初めて作られた当初、十牛図でなく八牛図だった。
それを日本のなんとかいう偉い坊さんが二つの絵と十編の詩を加えてようやっと今ある十牛図として完成させたのである(という話を確かにどこかの本で読んだのだが、それ以来どんな本にもこれと同じ話を見つけたことがない。もしかすると間違っているのかも知れない。一応この話が正しいものとして話を進める。)。
そして十牛図の真価はその第九図と第十図にある。
悟りへの旅路は確かに第八図で完成しているのにも関わらず、第九図と第十図では「悟った後」が描かれているのだ。
悟ったら終わりじゃないのだ。
第九図ではただの景色が描かれている。
「悟りの旅」に出かける前の景色と何ら変わらないただの景色が。
そこには誰の姿もない。
川が流れたり花が咲いたりしている。
そこには以前と全く同じ世界が以前と全く同じようにある。
違ったことがあるとすればそれはその景色を眺める自分が以前よりも遥かに自由であるということだ。
もっと言えばその第九図に描かれた川や石や空や山自体がそのまま当初牛を探していた男の姿として描かれていると言ってもいい。
第九図で男は世界そのものとなっているのだ。
そして第十図。
この図では二人の男がただ喋っている。
それまでの九つの図には一人の人間しか出てこない。
ここで初めて二人の人間が現れる。
しかもそのどちらも最初の牛飼いとは違う顔をしている。
これは「社会」だ。
第九図が「自然」で第十図が「社会」になっているのだ。
男はまた自分の街に戻ってそして大衆の中に消えてしまったのだ。
悟りの後には、自然の中に溶け込み、世間の中に溶け込み、また以前と同じように泣いたり笑ったり怒ったりして暮らす下世話な生活が待っている。
牛飼いはそこに戻らねばならない。
そうしてやっと物語を終わることができるのだ。
オレには十牛図を完成させた偉い坊さんがそう言っているような気がしてならない。
結局くるっと廻って一周する。
何も起こらなかったのと同じになる。
それはとても素敵なエンディングだと思う。
月まで行って丸い地球を見たのなら、また地球に帰るんだ。
行ったきりでは話が終わらない。
行かないうちは思いもするが一度見たならきっと戻って来てももう夢見ないですむじゃないか。
ここで生きれる。
つづく。
2000 5/29
今現在一般的に考えられているような「悟り」のイメージは禅が作ったものだ。
禅が現れるまでの仏教では「悟り」と言ったら「解脱」のことで、それはそのまま「輪廻転生」の輪から外れることを意味した。
古代インドでは「生」は何度も生まれ変わりを続けながら永遠に続くものだと考えられていた。
そして古代インド人にとって「生」は苦しみ以外のなにものでもなかった。
だからこの苦しい「生」をここで終わらせて向こう側の世界へ行くことが彼等の夢だった。
それが(この世の生からのドロップアウトが)「悟り」であり、「解脱」であった。
しかし禅では「悟り」と「解脱」がどうも分離しているような印象がある。
昔の禅の偉い坊さんなどは平気で「輪廻」なんか関係ない、と言ったりしている。
一般的には禅の悟りは「心の平静」のように受け取られているが、実際に禅を勉強してみるとそんなことはない。
菩提達磨は弟子の両足をちょん切ったりするし、一休はしょっちゅう人妻とセックスしたりしてる。
禅の「悟り」とは「とんち」のことだ。
生へのとんち。
世界へのとんち。
宇宙へのとんち。
存在へのとんち。
死へのとんち。
「このはしわたるべからず」へのとんち。
それが禅の「悟り」だ。
オレはそう理解している。
禅の悟りは「心の平静」というよりは「心の余裕」といった方が近い。
十牛図という図がある。
悟りに至る道が10個の絵で示されていて、その10個にそれぞれ詩がついている。
ぱっと見、10コマ漫画といった風情だ。
十牛図には「悟り」についてのとても素敵な話が書いてある。
「おっ、突然船木と関係ない話になってるぞ。」と思ったあなた。
多分大丈夫です。
後からちゃんと本筋に戻る予定です。
もうこうなったら書きたいことの半分くらい書いてやるかんね。
今までこういう話あんまりしたことないからもののついでだ。
で、今日は早寝をしたいのでここらへんで「つづく」
一週間くらいの連載になったりして。
あ、あとお知らせがあります。
5/29〜6/3までオレの友達の石田君という人が銀座のモリスギャラリーというところで個展をやっています。
別に石田君に頼まれたわけじゃないんだけど、オレはちょっとバイトの都合がつかなくて行けないのでみなさん行ってみてください。
石田君はオレの尊敬する本当に数少ない芸術家の一人です。
友達をやらせてもらえるのがラッキーだと思えるほどです。
ああいうのを芸術と言うのです。
今現在生きている分、ピカソより石田君の方が偉いです。凄いです。
石田君の作品を見るとそこらへんの芸術家のしょぼさが良く分かってしまい、そこらへんの芸術がつまらなくなる、という弊害もありますが、興味のある人は行くといいです。
見れば分かる。
5/29〜6/3
石田尚志展
モリスギャラリー
中央区銀座7-10-8 第5太陽ビル1F
電話:03-3573-5328
ほんじゃ。
2000 5/28
昨日のつづき。
5/22の日記で詩を書いたが、あれなどは題を「大人になり方」にしても良かったくらいじゃないかと思っている。
しないけど。
オレは6年前のある日に「オレはスターだ」と宣言して初めてようやく大人になった。
その頃のオレはずっと同じ場所をウロウロしながら何をどうしていいかも分からずに、何もかも悟ったような気持ちになって空っぽの日々を空っぽにやり過ごしたり、急にやる気が出てきて(だからといって自分に何もやることがない事に気がついて)恐ろしくなって狂ったみたいにずっと歌い続けたりしているばかりで、次のステップをどこにおけばいいのか全く見当さえついていなかった。
いや、見えてはいた。
ジェームス・ブラウンになれば良かった。
ただそれが恐ろしかった。
決心をしたが最後オレはもうどこにも戻れなくなる。
決心をしたが最後オレはもう今までのように世間の外側に立つことができなくなる。
誰の邪魔もしたくはなかったし、さぶいのも嫌だった。
手前勝手がどれだけ人を傷つけるのか、又その無自覚がどれだけ図々しいものなのか、オレは知っていたからだ。
自覚を持ってあえて無自覚を生きる度胸がその頃のオレにはまだなかった。
ヒクソンはまさに船木が憧れ、夢見た理想そのものだったのじゃないかと思う。
お釈迦様みたいな顔をして戦う男。
「これ」が最強なのだと言える男。
自分の肉体を完全にコントロールできる男。
何か計り知れない大きな価値を知り、心の冷静を手に入れた男。
きっと他の多くの人と同様、船木にはヒクソンがそういうふうに見えたのじゃないかと思う。
そこには船木の理想が、現実に生身の肉体として生きていたのだ。
船木はそれさえも自分の中に取り込もうとする。
船木は今までもそうやって生きてきたのだから、そうすることが船木にとっては一番自然なことだったのだろう。
実際お手本さえあれば船木にとってマスターできない技術など今までなかったのだ。
船木は柔術を学ぶ。
ヒクソンがヨガをやっていると聞けばヨガも練習メニューに取り入れる。
10年以上もプロレスをやってきてそれでもまだ貪欲に新しい技術を取り入れようとする船木の姿勢は本当に美しいものだった。
しかし船木は決められなかっただけじゃないかと思うのだ。
船木はずっと「モラトリアム」を生き、あらゆることを試していただけで、結局どこにも一歩を踏み出せずにいただけなのじゃないだろうか。
完全に納得できて「これしかない」と信じることができるようなものはこの世にはないという確信を、認めたくないがためにあらゆるものを試し続け、そして皮肉にもそのチャレンジが確信をどんどん補強していくというような悪循環が船木の中にはきっとあったに違いない。
完全に納得できて「これしかない」と信じることができるようなものはこの世にはないんだとオレは思う。
だからこそどっかで開き直るしかないのだ。
「これしかない」と言って。
ヨガの話には皮肉な後日談がある。
船木は山ごもりするヒクソンが冬に長野かどっかの川で泳ぐ映像の中で、川から上がったヒクソンの体からもうもうと湯気が立っているのを見て、「ヒクソンはヨガをやることによって体温を自分で調節できるようになったに違いない。」と思って自分もヨガを始めるのだが、試合の直前にある記者がそのことについて訊ねるとヒクソンはあっさりそれを否定したのだ。
もちろん船木がそう考えていることなどヒクソンは知らない。
「体温は調節できない。寒いことは寒い。ものすごく寒い。」
船木はどうしてもヒクソンへの幻想を捨てられなかった。
リングに上がった時船木は入場の際に持ってきた日本刀でヒクソンを切り殺そうと思ったという。
それくらい追いつめられていた、と記者に語ったそうだ。
なるほど船木はヒクソンが恐ろしくてしょうがなかったろう。
船木にはヒクソンが全く見えないのだから。
船木にとってヒクソンは理解を越えた巨大な、自分が求めてたどり着けなかった場所に立っている人間でない、理想そのもののような男だったのだから。
船木には何もなかった。
ヒクソンだって自分と同じただの人間であるはずなのに、船木はそれを知るための前提となるような、何の確信をも持ち合わせてはいなかった。
世界はいつまでも無価値で不可解のまま、(ヒクソンの悟りすました顔など単なる無知として退ければ良かったものを、)律儀な船木は「悟ったヒクソン」をそのまま大きな謎として尊敬してしまった。
眠いのでまたつづく。
なんだか連載みたいになってきたな。
それではおやすみまた明日。
2000 5/27
船木は格闘家としては致命的な程にニヒリストだったのだろうな、と思う。
昨日2000年5月26日、ヒクソン・グレイシーに敗れた船木はその場で引退を表明した。
船木は確か15歳でプロレスラーとしてデビューしている。
船木は早熟の天才だった。
前田がUWFを旗揚げした時に船木はUWFに参戦しようとし、猪木にほぼ軟禁状態で10何時間にもおよぶ残留の説得を受けたという。
前田のUWFの旗揚げはある種猪木がけしかけたようなところもあったし、それは皆が猪木イズムを純粋に受け止めた結果であったとも言えたし、猪木という人はそういう何か新しいことを始めようとして自分に反抗してくる若者達をどこかで深く愛しているような、又それを利用して新たに魅力的なムーブメントを発展させていこうとするような、個人の立場を越えたプロデューサーとしての視点を持っていた人であったから、特に船木を強く説得して残留させようとしたのも、船木の天才のゆえだったのだろう。
猪木は船木を手元に置いて、後々は自分の後継者にしようとさえ考えていたのかもしれない。
しかし船木の純粋性は猪木を否定する。
おそらく船木は猪木の矛盾が許せなかったのだ。
船木はデビューしてからつい昨日引退するまでついぞ「大人になる」ということがなかった。
船木には猪木の政治や豪快さや懐の広さを単なる排除すべき矛盾としか感じなかったのに違いない。
前田も猪木に似て目的のためには手段を選ばないようなところがあったから、その後UWFの崩壊に伴って船木は前田とも袂を分かつ。
そしてパンクラスを旗揚げする。
そこで船木は初めて矛盾のない世界を、あらゆる枠をとっぱらった純粋に「強さ」だけを求める世界を、戦いという舞踏を模索し追求し始める。
船木は筋肉を左右対称にするために手や足を両利きにしようと努力したり、野菜中心のほとんど塩を使わない料理を食い続けたり、半ば異常なほどに「強い肉体を作る」ことへ執着した。
そしておよそ知っている全ての格闘技の技術を一つの体系にまとめようと努力した。
船木の天才はあらゆる技術を習得することを可能にしていたし、実際船木の唱える「ハイブリッドレスリング」はとても魅力的な、どんな状況にも対応できる究極の格闘技術として着々と完成しつつあるかのように見えた。
しかしその「ハイブリッド(雑種)=ごちゃまぜの魅力」はあるひとつの指針を持った求道というよりもむしろ求道のための求道と言っていいような、永遠の試行錯誤を続けるのみで、いつまでも完成を見ることがなかった。
「ハイブリッド(雑種)」はいずれどこかで新たな純血として定着させてこそ新たな道が開けるのだ。
どんなにたくさんのドアを用意してもそのいずれか一つを選んで歩き出さなければ何も始まらないのだ。
船木はその天才ゆえにいつの間にかニヒリズムの罠にはまっていた。
価値を相対化してより大きな視点を持つことは悪いことではない。
しかしそれはえてしてニヒリズムを助長しそのままそこでいつまでもウロウロし続けることを強いるのだ。
オレにはどこか船木とピーズの「はる」がだぶって見える。
それは昔の自分を見ているようなどこか切ない気分だ。
オレは今まで「大人になり方」を「ニヒルの越え方」をひとつのテーマにして歌ってきた。
それは昔の自分にこう言うためだ。
「今のオレは君から見ると堕落にしか見えないかもしれない。だけれどももしこれが堕落だとするなら君は絶対に堕落しなければならない。少なくともオレは今生きて歩いているが君はずっとそこで立ち止まって死んでいる。いや、むしろ君はまだ生を知らないと言ってさえいいほどだ。」
ちょっと長くなりそうなので明日に続く。
おお、すげえ。
この日記始めて初だな。
「つづく」なんて。
明日は「悟り」の話と「まとめ」。
・・・のつもり。
ほんじゃとりあえずおやすみ。
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