徒然またよし日記・8月後半






なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
ランキングが上がれば上がるほどさらにお客が増えるというかんじの雰囲気です。
オレを助けると思って登録してみて下さい。
こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。


2000 8/16

休日になったらやろうと思ってためていた仕事がたっぷりあった。
けど今日は何もしなかった。
一日中ふとんの上でごろごろしていた。
ごく個人的なトラブルなんかも重なって、なんだか変な気分だったんだ。
なんだかぶすぶすいっている。
こういう時はとことん自分を追い込むにかぎる。
今日も酒飲みに行ってくるよ。
放っときゃやる気もわいてくるだろ。
「あせり」の爆発を待つ。


2000 8/17

なかなかやるな石原都知事。

今日は久しぶりに都庁の展望台に行った。
展望台にはよく行くのだが、ちょっと見ないうちにずいぶん変わっていた。
中に小さなラジオ放送局ができていた。
そこから生放送とかやっているらしい。
ほんであのしょぼかった喫茶店がパブみたいになっていた。
なんとビールが飲めるのだ。
パニーニとかも置いてあって、なかなか旨そうだった。
それで営業時間も前は5時までだったのが今は10時までになっていた。
夜景を見ながらビールが飲めるのだ。
ワオッ。
今日は金がなかったので景色を見てすぐに帰ってしまったのだが、オレは必ずもう一回行って夜景を見ながらビールを飲んでやるぜ。
禁煙だから長居はできないけど。

あっ、そうそう。
10/14(土)にラジオに出ることになったよ。
東京は世田谷でしかやっていないローカル番組らしいけど。
頑張れば他の地域でも聞けるかもしんない。
詳しいことはまた近いうちに。


2000 8/18

はいはいはーい。
いろいろいじくったよ。
日記殿堂も増やしたし、も増やしたし、「求道者たれ」(オレのエッセイ)も少し変えたし。
何時間もかかっちまったよ。
しかしあれだな。
自分で言うのも何だけど、オレの日記は面白いな。
詩もかっこいいし、エッセイも素晴らしい。
ほとんど全ての文章を今日改めて読み直したんだけど、自分で関心してしまった。
ヒマな人はオレの昔の日記などをゆっくり読むといい。


2000 8/19

まんどりん家族の面々と一緒に多摩川に行った。
オールナイトの飲めや歌えや大会。
1人減り、2人減り、翌日の12時に新宿で解散した時にはメンバーはオレを含めて4人だけになっていた。
なかなかにハードな宴会だった。
しかし河原ってのはいい。
途中遠くの空に花火が見えた。

プロレスごっこのやりすぎで体中が痛い。


2000 8/20

多摩川から帰ってすこし眠った後、近所のライブハウスに三上寛さんのライブを見に行った。
とても感動する。
年内に一緒に演ろう、という話になった。
三上寛という人は本当に観客にドスを突きつけるようなライブをする。
オレも三上寛にやり返さなきゃなんない。
オレなりの恩返しとして。
勝手に学びとらせてもらったものを、同じステージの上であの人に見せてやんなきゃなと思う。
年内にはきっと三上寛と演る。
その時にはちゃんとこのホームページでも大々的に宣伝するから、みんなはきっとその目撃者になるように。
よろしく頼む。


2000 8/21

今日は一日ぼけっとしていた。
いろんなことが頭の中でぐるぐる回っている。
ここ何日間かのアルコールが少しづつ抜けていくかんじ。
明後日はきぬごしの会の花火大会だ。
もうすぐ夏も終わる。


2000 8/22

オレはギターが下手である。
しかし、オレはもうここ何年も高度なギターの技術を必要とするような曲をやったことがない。
だからこの何年かの間はちっとも下手ではない。
むしろかなり上手いと言ってもいいくらいだ。
オレの作る曲はすべてとても簡単に弾ける曲ばかりなので、それらの曲を弾いている限り、オレはジミヘンにもひけをとらないくらい正確でダイナミックな演奏をすることができるのだ。
高度でソウルフルな演奏なら喉がやってくれる。

世の中何でもありなんだから自分の得意なことだけやってりゃいいんだと思う。
各個人個人の心の中では、自分の他人より劣っている点であるとか、苦手な点であるとか、そういうもの程よく目立って気になるものだが、共通一次じゃあるまいし、合計点を高い水準にする必要などどこにもないのだから、自分の一番自信がある部分でこの世の中を渡って行けばいい。
苦手なことを克服しなきゃなんない理由なんてこの世界のどこにもないのだ。
本当の理想は「何でもできる」ことではなく、「何でも自分の得意な土俵に引き込める」ことだ。
例えばオレはかなりの格闘技ファンなのだけど、格闘技ファンの間でよく話題になるのが「最強について」である。
「最強の格闘家は誰だ」とか「最強の格闘技は何だ」とか。
しかしよくよく考えていくとこの「最強」というのがとても難しい。
「最強」というのはあるルールなり、時期なり、状況なり、特定の「くくり」の中にしか存在しないからだ。
本当に「何でもあり」なら空手家よりかは真剣を握った剣道家の方が強そうだし、もっと言ったらピストルを握ったクリント・イーストウッドの方が強そうだ。
戦う状況によっても、例えば海での戦いならば漁師さんの方が断然強そうだし、高度1万メートルからパラシュートをつけて落下しながら戦うのならば、きっとスカイダイビングの技術を持った奴の方が強いだろう。
しかしだからと言って空手家がいざという時のためにスカイダイビングを習ったり、漁師さんに弟子入りするなんてことはない。
いや、中にはそういう奇特な人もいるかもしれないが、そういう人はあんまり空手が上手くないのだろう。
「最強」というのは全てどう「くくる」かで決まるものなのだ。
「最強」になりたいのならば、自分が「最強」であれる「くくり」を考えた方が断然早いし、その方が人として「正しい」とオレは思う。
強くありたいのなら自分の得意な土俵でしか戦ってはいけない。
得意な土俵を持つこと、そして世界というものをそこから「くくり」直すこと、その精神を「とんち」と言う。
自由というのは「とんち」のことだ。
禅も結局は「とんち」に行き着く。
「とんち」は「悟り」と同義語と言ってもいい。
このはしを渡ってはいけないのなら真ん中を渡ればいいのだ。

オレは世の中何でもありなんだから自分の得意なことだけで全部片づけちまえばいいんだと思う。
「とんち力」をつける、というのはけっこう大変なものなのだが、「とんち」というキーワードを持って世の中を生きてみると、また違った景色が見られるんじゃないだろうか。

ついでだからみんなに「とんちテスト」をしてあげよう。
このテストには特定の「答え」はない。
とんちが効いているかどうかが採点のポイントだ。
いい答えを思いついた人はそれを掲示板に書いていくといい。
面白ければオレが褒めてあげるよ。

問い1

一休さんが殿様に呼ばれました。
殿様が言います。
「これ一休、実はこの屏風(に描かれた)のトラが毎晩屏風を抜け出しては、人を襲うのでほとほと困っておる。何とかしてくれぬか。」
もちろんこれはウソです。
殿様は一休の「とんち力」を試していたのです。
そこで一休は言いました。
「分かりました殿様。では私が見事そのトラを縄で捕らえて御覧にいれますから、さぁ、ちょっと後ろの方から追い立ててみてください。」
さて、普通ならここで殿様は大笑いして「こりゃ参ったぞい、一休。」となるのですが、この殿様は普通の殿様ではありませんでした。
とんちの効いた返し技を返してきたのです。
「ああ、そのトラは夜にならないと出てこないんじゃ。」
しれっとこう言い放ちました。
さあ、一休さんはどうしたでしょうか。

(もちろん「夜まで待ちます。」では0点です。あしからず。)


2000 8/24

きぬごしの会バンザイ。
オレという男は本当にしあわせものだなあと思う。
みんなオレにやさしくしてくれてありがとう。
きっともっともっといい歌を歌うよ。
昨日はきぬごしの会のイベントで線香花火大会というのをやった。
とてもいい夜だった。

オレは空と風と月と海と歌とそしてあなたたちが大好きです。
心から。


2000 8/25

今日電車に乗って線路を眺めていたら、突然あのガキの頃の釈然としない気分を思い出したのでここに記す。
数学の話だ。
数学にアレルギーのある人は読まなくてもいいよ。

四角形の面積の求め方は縦x横である。
そういうことになっている。
これはは縦あるいは横のラインが、そのまま平行を保ちつつ横あるいは縦に移動した時の軌跡として面積を考えているということだ。
もっと解りやすく言うと四角形の面積というのは数学の世界では「スダレ」のようなものとして認識しているということである。
その根底には点の集合としての線があり(一次元)、線の集合としての面があり(二次元)、面の集合として立体がある(三次元)、というような考えがある。

数学における世界認識というのが一定であるからこそ、皆がその論理の中で同じ理解を共有することができる。
文章であれば同じ文章でも読む人によって全く違った解釈をすることがしばしばあるが、数学の場合は正しい解釈がひとつあるだけだ。
数学(文学ではなく)という「世界を認識するためのツール」がなければ近代の爆発的な技術の発達はなかっただろう。
数学があったから皆が同じ理解の上で仕事をすることが出来たのだ。
ちょっと難しく言うと人類は数学によって初めてそこに普遍的な尺度を手に入れた、と言ったところか。

数学は偉い。
数学はかっこいい。
が、しかし。
が、しかしである。
やっぱりこの四角形の面積の求め方はおかしい。
だって点は点で、線は線で、面は面だからだ。
オレは子供の時学校の算数で習って以来、今だにおかしいなあと思っている。
「線」というものは幅が少しでもあったらそれはすでに「面」なのであるから(太いマジックペンで書いた線は「線」というよりも「細長く続く四角く黒い面」だ)、純粋な「線」には幅が全くないことになる。
幅の全くない「線」ならいくら集めたって「面」にはならないだろう。
スダレどころか、単なる空白しかそこには有り得ない。
「点」と「線」の関係だって一緒だし、「面」と「立体」の関係も同じように言える。
当時先生にしつこく「それはおかしい」と食い下がったが、分かってもらえなかった。
たぶん数論と幾何を全く同じ土俵で扱おうとするから気持ち悪いのだと思う。
別個にやりゃいいのに。
みなさんはおかしいと思いませんか。
オレはどうにも気分が悪い。

そもそも「数」というものは数直線の上にあるのか、ものの量としてあるのか、どっちなのか。
誰か物知りの人がいたら教えてください。
きっと数学のやつがそこらへんをごっちゃにしたままで平気な顔をしているから、オレはあまり数学が好きになれないんだと思う。


2000 8/26

もっともな言葉ほど疑ってかかるべきだ。
時にはそれが人間の魂を殺してしまうこともある。
オレはもう何人もそういう奴を見てきた。
世間に取り込まれてしまった人間にはもはや何の輝きもない。
結局、世間は敵なのだ。
忘れないで欲しい。
顔はヘラヘラ笑っていてもいいから、心の中ではアッカンベーをしていよう。
今日はやばかった。
今日はオレあともう少しで反省するとこだったよ。
オレはどこまでも正しいってのに。
世間の「もっともな言葉」に負けるとこだった。
詳しい事情はちょっと教えらんないけど、バイトは今月いっぱいでクビになったよ。
でも心はすっきりしている。
兄ちゃん、母ちゃん、オレはこんなに強い人間になったぜ、喜んでくれ。
ほら、こんなに誇り高く、はずれくじを引いてやった。


2000 8/27

なんか昨日の日記の反響がいいみたいだ。
掲示板やダイレクトメールでいろんな言葉が届いている。
せっかくだから昨日の日記のつづきを書くよ。

(「もっともな言葉ほど疑ってかかるべきだ。」という言葉も、もし君が「もっともだ」と思うんなら、一度疑ってみるべきなのだが、まあそんな話は置いといて。)

人はウソをつく時、必ず真面目な顔をする。
もうずいぶん昔のような気がするが、このオレにだって、とても純情だった頃があった。
今ではオレは他人になーんの期待もしていないし、精神的には完全に自給自足でやっているが(もちろん他人から思わぬ好意を貰ったりして、期待してない分よけいに嬉しくなって泣きそうになる時はある。けれどそれは「必要」でなく「ラッキー」だ。オレは自分以外には何も、何一つ預けない。)、ほんの6年くらい前までは、オレもちょくちょく他人の好意を期待して生きていた。
オレのことを「好きだ」と言ってくれる人をどこまでも信用していたし、理解していてくれている、と思って嬉しくなって、さらにもっとどんどん自分から相手に理解を求めるようなマネもした。
そしていつも最後は、(単なるオレの力不足のせいなのに)理解が得られないと勝手に裏切られたような気分になって、とても落ち込んだりしていた。
「人はウソをつく時、必ず真面目な顔をする。」
もちろん、その昔オレを「好きだ」と言った人達がみんなオレを騙すために近付いて来て、ウソを言ってオレを傷つけたなんてことは言わない。
あれは単にオレがアホだっただけの話だ。
彼等の言葉のほとんどはやっぱり好意によって出されたものだと思うし、実際そうだったろう。
「人はウソをつく時、必ず真面目な顔をする。」
もちろん、真面目な顔が全てうそっぱちだなんて言っているわけじゃない。
切実さや、誠実さだってやっぱり真面目な顔をするもんだ。
「人はウソをつく時、必ず真面目な顔をする。」
けれどもこれは覚えておくべきだ。
真に疑うべきなのは、「あやしいこと」ではなく、「もっともなこと」なのだ。
どんなものにだってあやしい部分はあるはずだからだ。
安易に信じて、考えるのをやめてしまって、損をするのは自分自身だ。

いつだって、信念の中を生きる者は強く、疑いの中を生きる者は弱い。
けれども見ろ。
疑いを忘れた魂には、何の輝きもないだろう。
あんなものには屁ほどの価値もない。
そこには挑戦が有り得ないじゃないか。
挑戦を忘れた魂に光が射すことなど永遠にない。

バイトはクビになった。
同僚はオレをバカだと言った。
貯蓄だってほとんどない。
生活は厳しい。
けれどもオレはちっともへこんでなんかいないんだ。
負け惜しみじゃなくて。
世間がオレみたいなのを胡散臭いと言うのなら、明らかに間違っていると言うのなら、単なるゴロツキかチンピラだと言うのなら、上等じゃないか。
オレはさらに鼻くそをほじってスキップをしてやる。
悪いがオレは今だっておまえらの誰よりもしあわせなんだ。
178番目に大切なもののために、この世で一番大切なものを売り渡すようなバカなマネはしない。
だってオレはスターなんだから。
なぁベイビー、分別臭いのはゴミ捨て場だけにしといてくれ。
オレは素晴らしいことをやっている。


2000 8/28

すごい。
着々と痩せてきている。
え?
誰って?
オレさ。
オレが痩せてきているのさ。
実はダイエットしてるんだ、オレ。

え?
話が違う?
バカ言うな。
オレはウソツキじゃないぞ。
体重なんか気にしないさ。
ただ単にケチなだけだ。
持っている洋服の7割がせまくなっちゃったんだもの。
真っ赤なツナギのステージ衣裳も入らなくなっちゃった。
だからしょうがないから服に合わせてるのさ。
太るのを恐れているのではなくて、今まで買い貯めた服がおじゃんになるのを恐れているのさ。
だからこれは「ダイエット」ではなく、「服に合わせている」だ。
略して「服合(ふくごう)」。
服合してるの、オレ。
体重なんかどうでもいいもの。
100キロあったって別にかまわない。
体型さえ元に戻ってくれれば。
本当さ。

しかしあれだね。
毎日のエクササイズ(オレの口からこんな言葉が出るとは。)と、高タンパク低カロリーの食事を意識的に続けるってのは、ある種カンフーごっことかプロレスごっこに通じる部分があるね。
なんだか格闘家になった気分だよ。
なんかこうストイックなかんじとか。
江戸時代の剣法家とかが一汁一菜の粗食をいそいそと無言で食ってるようなかんじのイメージ。
思わず昔買った禅の本とか取り出して、読んだりしているよ。
本書こうかな。
「静寂ダイエットでみるみる修行僧」みたいな本。
いや、オレのはダイエットでなく服合なんだけど、なんか売れそうじゃん。
なんか響きがいいもの。
静寂ダイエット。


2000 8/29

今日正式に失業した。
ついさっきまで飲んでいた。
今日からは正式なろくでなしだ。
とてもうれしい。

おやすみ。


2000 8/30

えーと。
やっぱガマンできないのでドラクエを買いに行ってきます。
明日っからはこの日記がドラクエ日記になってるかもしれません。
だって世代的に言うとオレもドラクエ世代なんだもの。
ファミコンのドラクエ1からやってたし。
なんか「見届けなくてはならない」感があんだよね。
ちょうど失業もしたし、ドラクエの日々を幾日か過ごしてみることにします。
では。

珍しく真昼に更新の徒然またよし日記でした。


2000 8/31

ドラクエ順調。
文句を言う母親もいないのでゆっくりゲームばかりしています。
ああいいな大人って。
素敵だなヒマって。
クーラーを効かせてジュースを飲んで、ごろごろ転がっています。
まだしばらく現実には帰りません。

痩せるのは少し後回し。







過去の日記

表紙に戻る