徒然またよし日記・8月前半
なんか良くは分からないんだけど、
この日記猿人というやつのランキングに参加してみました。
ランキングが上がれば上がるほどさらにお客が増えるというかんじの雰囲気です。
オレを助けると思って登録してみて下さい。
こういう地道な努力によってオレのライブは赤字から脱出できるのです。
きっと。
2000 8/1
あれはほぼ10年前の冬の日だった。
オレが高校1年生になったばかりの時の話だ。
夜中にこっそり家を抜け出したオレは、その頃付き合っていたKさんの家に行った。
そして人気のない夜の住宅街でひっそりとある下準備をした。
顔はちょっとにやけていた。
あれは普通の精神状態ではなかった。
準備が終わるとオレは電信柱を伝ってKさんの家のベランダに進入した。
Kさんの家には以前に遊びに行ったことがあったので、Kさんの部屋の位置も、Kさんが毎晩そこで一人で寝ていることも知っていた。
コンコン、コンコン。
Kさんの部屋の窓ガラスを叩く。
コンコン、コンコン。
カーテンが開く。
オレの姿に気付いて、悲鳴をあげそうなくらいに驚くKさん。
「起こしてごめんな、きれいな月だから散歩しようよ。」
Kさんは最初戸惑うようなかんじではあったが、
「ちょっと下で待ってて。」
と言って、しばらくするとパジャマにカーディガンを羽織って出てきた。
Kさんの家から少し離れるまでは、二人とも無言で歩いた。
Kさんはサンダルをつっかけていたので、歩くたびに、コトリ、コトリ、と音が鳴って、それがちょっと気になるようだった。
今にも物音に目を覚ましたKさんの親父さんが怒鳴って追いかけてきそうだった。
「ごめんな、やっぱ迷惑だった? 怒ってる?」
「ううん、ちょっと驚いただけ。」
沖縄では白い息が出るのは珍しいことなんだけど、その日はよっぽど冷えこんでいたらしく、オレとKさんが喋るたんびに出る真っ白い息がなんだかスリリングで、ロマンチックで、そしてオレとKさんはなんだかそれが照れくさくて、
「ほーっ。ほーっ。」
と言って笑いながら息をはいたのを憶えている。
「あっ、あれ。」
オレは驚いたふりをして、指をさした。
そこには一輪の真っ赤なバラが落ちていた。
味気ない灰色のアスファルトの上の赤いバラは、なんだか不思議な繊細さを持って夜の寒さに彩りを加えていた。
「はい、これ。」
バラを拾ってKさんに手渡したオレは、
「あれっ、あそこにもあるみたい。」
と言ってさらに向こうの方を指さした。
バラの花は点々と、近くの学校のグラウンドまで続いていた。
オレは何も言わなかったがKさんは少し笑っていた。
グラウンドが見渡せる坂の上のポイントまで来て、やっとKさんはグラウンドに何か書いてあることに気が付いた。
グラウンドには白いラインで、
「ハッピーバースデイ、Kさん」
と書いてあった。
その後、二人で校舎に忍び込んで、
笑いながら足でゴシゴシ文字を消した。
わははは。
もうすぐオレの誕生日です。(8月10日)
8/9のライブに来るみなさん。
プレゼントに悩んでいるあなた。
何でもいいんですよ。
気持ちがこもっていれば。
饅頭の中に小判を隠し入れておくとか。
そういうの。
あっ、ちなみにオレはパンツはビキニじゃなきゃイヤです。
Sサイズのビキニでないと。(外国製のやつが好ましい)
いや。
別にパンツがそろそろ古くなってきたなー、とかそういうことは考えていませんから。
ほんとに。
催促してるわけじゃないんだよ。
いや、ほんとに。
2000 8/2
なんか病気やでこれ。
めちゃめちゃしんどい。
一日中寝とったんやけどまだ眠い。
ほんでだるい。
明日の朝には復活してるかなぁ。
してて欲しいなー。
おやすみ。
あっ、そうそう。
今月から日記は下にくっつけることにしたから。
新作ほど後ろ。
2000 8/3
とりあえず復活。
なんか最近疲れがたまっているみたいだ。
ベイビー、心配かけたな。
オレは瞬きがめちゃんこ速い。
まばたき。
とりあえず漢字の読めない人むけにひらがなで書いてみた。
瞬き。
突然「瞬きが速い」と言われても何のことやら分からないかも知れないが、これはもうそのまま瞬きが速いのである。
そのまま受け取ってほしい。
とれたての私の愛をそのまま受け取ってね、賞味期限はエ・イ・エ・ン。うふっ。
そのまま受け取って欲しい。
まぶたの動きがめちゃめちゃ速いのだ。
たいていの人はオレが瞬きしても全く気付かない。
本当だ。
これはオレは自分では全く気付かずにいたのだが、2年ほど前にある友人に、
「おまえの瞬きって本当に凄いよな。」
と教えてもらったのだ。
その友人はカメラマンをやっているのだけれど、彼はオレの写真を何百枚、何千枚と撮っているうち、オレの写真にあの瞬きの瞬間のあのぶさいくな顔、小学校や中学校のクラス写真で必ず一人はしている、あの目の半開き状態の顔の写真が一枚も存在していないことに気がついたのだ。
そう。
オレの瞬きはシャッタースピードよりも速かったのだ。
1秒間に74回ウインクしてたんだけど気付かなかった?
そん時に作った詩。
(ちなみに仏教では1刹那は1秒の74分の1で、その刹那の間に全ての物質は生と死を繰り返しているのだと言われている。)
2000 8/4
先に両手を放すから見てろよ
きっとあとからついてこい
下で待ってるぜ
長いこと完成しないまま放ったらかしになっている歌の歌詞の一部。
本を読むというのはあまり格好の良いもんじゃない。
「本を読むというのは他人の頭でモノを考えることである」
と言ったのはたしかハイデッガーだったと思うのだが(違ったかな?)、オレもそれは全くその通りだと思っている。
世の中には本は読めば読む程かしこくなるものだと思っている人がいるみたいだが、そんなのは本当に幼稚というか、素朴というか、おめでたい考えだ。
博学のバカなんてのは世の中にいくらでもいる。(石坂浩二あたりはかなり怪しい)
何らかの必要があってこその知識なのであって、使い道のない知識なんてのは酒の肴くらいにしかならない。
まあそれはそれで楽しいものだが、それは「かしこい」というのとはちょっと違う。
いくら物知りでも何か新しい出来事に遭遇した時、自分の頭で理解し、対処できなければただのバカである。
他人の考えをいくら知っていても、自分の考えがないのなら何も知っていないのと変わらない。
話は少し変わるが、習い事というのはどんなものであれ「基本」というのがあって、「基本練習」というのがとても大切である、というようなことになっている。
だから指導者は入門する人達にまず基本を教え、基本練習をさせる。
基本練習というのは万国共通どこへ行ってもつまらないものである。
「それが後々役に立つ」だとか「いつかオレに感謝する日が来る」だとかいくら言われても、「基本練習」というのはつまらないものなのである。
つまらないからこそ「基本」なのだと言ってもいいくらいだ。
やってて面白いのならそれはすでに「基本」ではない。
オレはギターを少し弾くが、それはもうライブで金を取ってんのが信じられないくらいおそまつな腕前だ。
しかしまあそれでも素人よりははるかに上手い。
ギターを初めて見た原始人から見ればオレもジミヘンも大して変わらないだろう。
だからこんなオレに「ギターを教えてくれ」という奴だってごく稀だがいたりもする。
オレはそういう奴にはコードの押さえだけ教えてすぐに卒業証書を渡してやる。
オレだって今まで一度たりとてギターの「基本練習」というものをしたことがないのだ。
あんなものちっとも面白くない。
「基本」なんてのはオレなんかよりもっともっと上手い人が、とてもとても高度な演奏をする時に必要になるものなのだと思う。
自慢じゃないがオレは「基本」がしっかりしてなければ弾けないような半端な曲作りなんてしていない。
だからオレには「基本」なんて必要ない。
いや、オレ以外の多くの人にとってもそれは同じことなのじゃないだろうか。
逆なのだ。
「基本」というのは最初にやるものではなく、上手くなった後でやるものなのだ。
必要に応じて身につけるべきものなのだ。
それが何の役に立つのかも分からないまま始めるのであれば、どこに重点を置けばいいのかも、何を意識すればいいのかも、全く分からないではないか。
知識というのもそれに似ている。
あちゃー。
しばらくおとなしい日記を書くはずだったのに。
こういうの書き始めると止まらないんだよな。
バイト忙しいからなるべくさぼりたかったのに。
まあいいや。
つづきは明日。
もう眠い。
明日も朝早いんだ。
2000 8/5
ある大きな総合的な理解のためにより多くの細かな、その周辺の知識が必要になる、ということは大いに有り得るだろう。
例えば何の脈絡もなく「いい国作ろう鎌倉幕府」と言われて鎌倉幕府の成立が1192年だった、ということを知ったとしても、それは何の個人の必要にも応じていない知識なのだから、個人の中で何の意味も持たずにそのまますぐに忘れ去られてしまうことになるだろう。
しかし例えばもしもその人が中世の宗教や哲学に興味を持っていたとしたなら、浄土思想の成り立ちが12世紀頃から始まり、あらゆるジャンルの思想家、法然、西行、親鸞、道元、栄西、一遍、日蓮、少し時代がいって兼好法師などがその時代に集中的に台頭したことを知り、さらにその年代を大まかでいいから憶えてさえいたなら、同時代に西洋でも全く同じように思想家達が多く現れていたことを知るだろう。
そのほぼ同じ時代、西洋にはアヴェロエスが、聖フランチェスコが、アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクィナスやボナヴェントラやシゲルス、少し時代がいってエックハルトやドゥンス・スコトゥスがいたのである。
その時代の日本の時代の空気も、源義経だとかのエピソードなどと一緒に知ることができるだろうし、西洋で言えば十字軍の遠征等との関連なども知ることになるだろう。
中世の宗教や哲学の総合的な理解のためにはやはりそのへんのことも把握していなければならない。
だがしかしである。
それらの知識など最初からあるわけがないだ。
義務教育をどんなに頑張ってもそこらへんの細かい知識を得ることはできない。
しようがないからそこらへんに興味のある奴はみんな本を買って来て勉強する。
そう。
ここだ。
必要があって初めて知識は意味を持つのだということだ。
それでこそ初めて、義務教育で得るような類のしょうもない知識も(時に)「基礎知識」として役に立つのだ。
「知識」というのも「基本」と同じである。
必要な時に学ぶのでなければ何の意味も持たないし、そうでなければいざ学ぶ時、自分にとってもどこに力点を置けばいいのか分からないではないか。
基本的に、何かを学ぶ時に「あらかじめ」というのは有り得ないのだとオレは思う。
うーん。
つづきは明日。
2000 8/6
「何がやりたいか」ではなく、「何ができるのか」なのだと思う。
大人になるというのはそういうことだ。
オレは生涯をかけて自分の天才を証明するつもりだ。
オレはウソツキじゃない。
そこの君。
君は何ができるんだい。
どうやって証明するんだい。
オレ達がこのくそったれの世間に自分の力を証明するには、やつらの目の前でやってみせるしかないんだぜ。
何せやつらはバカだからな。
可能性だけで勝負ができるのは10代までだ。
お互いいい仕事が残せるといいな。
さて。
また昨日のつづき。
本を乱読する人は「かしこい人」というよりも「物好きな人」と言った方がいい。
本には何か「インテリ」みたいな雰囲気を醸し出すところがあるので、人前で恥ずかしげもなく本を読む人は「ええかっこしいの物好きな人」と呼ぼう。
いかにも「僕は勉強してます」みたいでいけ好かないかんじだ。
オレもたまに電車で文庫本を読むが、そういうのをもし発見したら「かっこわるっ。」と突っ込んでくれてもかまわない。
(もちろんその時にはオレの芸術的なとんちが炸裂して、君はなぜオレがスターと呼ばれているのかを知ることになるだろうけど。)
たとえ「本を読むというのは他人の頭でモノを考えることである」としても、他人の思考を忠実になぞることはその人の脳の道路網の発達を促すことになるだろう。
道路網が網の目のように脳の隅々まで行き渡り、様々な知識がそれぞれ連絡しあえば、誰も通ったことのないルートで目的地にたどり着くことも可能になるだろうし、誰も行ったことのない場所に行ける可能性も少しは高くなるだろう。
しかしそれも自分の中に何らかの指針があってこその話だ。
基本的に本を読むというのはあまり格好の良いもんじゃない。
そこには自意識のいやらしさが見え隠れする。
それは本を読むということが努力するということに似ているからなのだろう。
本を読むのは何かの基本練習みたいなもんだ。
そのわりにはけっこう楽しいけど。
努力の跡を見せるのは芸人の恥だと思う。
オレはなるべく「本はマンガ雑誌しか読みません」みたいな顔をして生きていたいなあと思う。
ちょっと話があちこちにとんでしまったな。
上手くまとまらなかった。
やっぱりじっくり時間をかけて書かなきゃいかんな、こういうもんは。
いつか時間があればもっと分かりやすいちゃんとしたエッセイにします。
たぶん。
とりあえずこれで連載は終了。
明日からはまた読み切りの日記に戻ります。
おやすみ。
2000 8/7
突然の雨、と、落雷。
改札を抜けて外へ出るとそこには雨宿りの人だかりでムッとした空気が立ちこめていた。
オレはそのおっさん臭い人いきれに吐き出しそうになりながらも、人混みを押し分けて表通りへ出た。
素晴らしい夜だ。
大粒の雨は星一徹がひっくり返したちゃぶ台のようにアスファルトを隙間なく叩きつけていた。
雨で霞んだ通りの向こうにコンビニやドラッグストアの電飾がきらきら光る。
こんな雨にずぶぬれになりたくならないなんて、みんなどういう神経をしているんだろう。
オレは鼻歌を歌いながら、雨の街に向かって最初の一歩を踏み出した。
明後日はライブ。
今回はかなり腹をくくっているのできっと素晴らしいライブになるはずだ。
絶対来い。
2000 8/8
よっし。
明日はライブや。
気合い入ってるぞ。
これがダメやったら全部だめや。
そんくらいの気持ちでやる。
2000 8/10
昨日のライブは良かった。
ウソツキにならずにすんだ。
「狙って」ホームランを打つなんてオレはなんてすごい男なんだろう。
予告ホームランだ。
素晴らしいライブだったと思う。
今日は誕生日。
みんなからお祝いメールが大量に届いていた。
ありがとうな、みんな。
26歳になったよ。
そろそろオレもここらへんが正念場だ。
2000 8/11
街は薄いピンク色に光輝いていた。
夕暮れ。
セミの声を聞きながらオレはタバコに火を点けた。
まるで雲の中にでもいるような不思議な景色だった。
「子供の頃に見たアニメにこんなシーンがあったっけ。」
それが現実の世界だということがまるで信じられないような気分で、オレはしばらくの間その色付きの空気の中に立ちすくんでいた。
と。
ほんの5分ももたずにそのピンクは消えてしまい、オレはすぐに現実に引き戻されてしまった。
2000 8/12
他人の書いた日記とかを読んでいると、よく「疲れた」とか「眠い」とかいう言葉を見つける。
別に誰が頼んだわけでもないのに、自分から進んで連載(日記)作家になって、「疲れた」も「眠い」もないもんなのだが、まあ気持ちは分かる。
っていうかオレもよく「疲れた」とか「眠い」とか言ってるし。
だいたい毎日更新のために2時間くらいはパソコンの前に座ってなきゃいかん、というのは健康にも悪い。
しかしあれだ。
ただ「疲れた」とか「眠い」とか言われてもぴんとこない。
これは自分でもたまに書いてあるのでひとつの反省として言うのだけど、「疲れた」だの「眠い」だの言われても読者としては「ああそうなんだね。」で終わってしまうのが普通なんじゃないだろうか。
決して「大変だー。大変だー。えらいこちゃえらいこちゃよいよいよーい。」とか、「なんだって。疲れただって。なんてことだ。なんてことなんだ。どん(両手で地面をたたきつける音)。ちくしょう。なんてこった(涙)。」とか、「あたしがもっと楽させてあ・げ・る。」とかにはならないと思う。
「疲れた」だけでは何のイメージもわいてこないし。
オレとしてはもっと万人に訴えかけるような、新しい表現方法をみんながそれぞれ模索すべき時にきているような気がする。
「疲れた」に変わる何か。
うーんうーん(疲)。
では短絡的すぎる。
「ずばれた。」
かんじはいいが意味が不明。
「こんぱる。」
疲労困憊の「こんぱい」と麻雀用語の「テンパる」を掛け合わせるという、少し高度な操作を行ったのだが、なんか字面が悪い。
うひひひひひひ。
あへひひひひひひひひ。
うへ。
あへはへ。
とかだとかなり「疲れた」感が出ているが、少しクールさにかける。
アイムタイアード。
英語にしただけ。
なかなかいいのは思い浮かばんもんだな(疲)。
2000 8/13
日曜日はいつも翌日の仕事に関係なく、夜更かししてCBSドキュメントを見る。
たとえ翌朝が早起きでも。
一度ダリのインタビューがやっていて、それにとても感動したことがあるので、それ以来とりあえず毎週のチェックをかかさないでいる。
今はダイアナ妃の運転手のインタビューをやっている。
あんまり面白くない。
多くの日本人にとってはダイアナ妃なんかどうでもいいもんな。
そうそう。
昨日このページを読んだ。
オレは普段「社会なんかどうでもいい」と言っているが、知らないよりは知っていたいとも思っている。
せっかくだからみんなも読みな。
知らないよりは知っといた方がいい。
ヒマがあれば下の方の関連リンクにも行ってみるといい。
2000 8/14
あの夏の日のけだるさは今もオレの心の中に残っている。
けれどももしかしたら実際にはあんな夏は存在しなかったのかもしれない。
日陰に座って、真っ白い景色を眺めていた。
けたたましいセミの声が聞こえていたはずだが、オレの記憶の中のあの夏は、まるで不自然な真空のように全くの無音だ。
オレは何故あんなにもからっぽの心であんなとこに座っていたんだろう。
原子爆弾の破裂した瞬間というのは、意外にあんなかんじだったのかもしれない。
時の流れが完全に停止して、その強烈な光だけがそこに取り残されてしまったような夏だった。
永遠とも言えるような昼だった。
オレの幼年期に、沖縄の夏がプレゼントしてくれた「だるさ」は、今だってオレの心の中に不自然な真空のようにぽっかりと残っている。
あれは夢だったんだろうか。
2000 8/15
ふー。
お疲れさんオレ。
明日からバイトが連休。
今日は飲ませてもらいます。
みんなには言わなかったけどここんとこずいぶん頑張ったんだオレ。
今日はゆっくり飲む。
おやすみ。
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